中国・台湾の発言

立て、日本人よ
台湾独立を支援すべきではないのか
宮崎正弘


 昨年十月の中国共産党大会の直前に胡錦濤総書記は「台湾問題」を唐突に議論のトップに据えた。
 人事をめぐる暗闘の最中、軍を味方に引き入れようと強硬派懐柔策にでたのだ。このとき、中国共産党内部では胡主席率いる「共産主義青年団」(所謂「団派」)と江沢民前主席率いる「上海派」と高級幹部の子弟どもが集う「太子党」が三つ巴で役職の争奪戦を展開していた。
 一方、中国に睨まれる台湾では与党(民進党)が従来主張してきた「中華民国」としての国連加盟運動を取りやめ、陳水扁政権は「台湾は『台湾』としての国連加盟」という政治キャンペーンを国際的規模で開始した。また国民投票でその是非を問うとも。
 これに反発して統一派の多い野党は最大政党の国民党が中心となり、「中華民国」としての国連復帰を唱え、さすがに国際関係を度外視したノスタルジックな主張に台湾民衆もソッポをむいた。
 それならば「台湾が独立すれば軍事的行動を辞さない」と公言してきた人民解放軍に、胡錦濤は、老獪かつ巧妙に「公約を守れ」として強硬路線を政治的に煽って軍の支持を盤石なものとしようと足掻いた。
 西側は「台湾は中国と不可分の領土」と言い張る中国の主張に「留意」はするものの、断固として自由と民主主義の台湾を守ると矛盾したことを言っている。
 とくに台湾防衛に関して、日米両国は安保体制強化と同時に「共通の認識」とした。これが二年前の日米「2プラス2」。しかし、日本政府は台湾が侵略された場合、日本の自衛隊が出動するか、どうかを鮮明にしていない。憲法と集団的自衛権の定義が曖昧のため、態度を示せない。これが台湾をして「日本は自由を守る意思があるのか」と失望を強くさせているのだ。
 そういう政治環境のもとで、日中間での資源争奪は尖閣諸島をめぐって衝突を繰り返してきた。
 中国は尖閣諸島を自分の海と主張し海賊行為を続ける。台湾の野党も尖閣諸島は台湾領だと主張し、この点では北京と基軸が同じである。
 04年三月に日本の固有領土=尖閣諸島に不法に侵入した中国人七名を沖縄県警が「入管難民法違反(不法上陸)」の現行犯で逮捕したことがある。沖縄県警は石垣島から第十一管区海上保安本部(那覇)のヘリコプターによって警察官を現場へ派遣し、中国からの侵略者たちを拘束した。
 ところが小泉首相(当時)は、「全体の日中関係の阻害にならないよう対処したい」と間の抜けた発言に終始し、尖閣諸島に不法上陸した犯人らは「日本の法律に従って適切に対処する」と述べたのみだった。
 尖閣諸島を侵略した中国の犯人らを沖縄県警が逮捕したにもかかわらず、日本政府の事なかれ官僚主義により、はやばやと上海に強制送還してしまった。かれらは上海で”凱旋将軍”となった。
 東シナ海の排他的経済水域(EEZ)の境界だと日本が主張する「日中中間線」から約九キロ中国寄りの海域で中国は幾つもの「天然ガス採掘施設」(プラットフォーム)を建設し、”盗掘”を開始している。
 日本政府は何回も国連海洋法条約に違反すると中国側に警告してきたが、何処吹く風。とうとう日本政府は重い腰をあげて中間線近くの日本側海域で独自調査に乗り出す。
 付近一帯で「天外天」「春暁」「断橋」「残雪」と中国が勝手に銘々した、合計四つのガス田が確認されている。
 日本はかなりの譲歩を示して「距離に応じた中間線」を提案してきたわけだが、中国は「自国の大陸棚が延びている」などと唯我独尊であり、あろうことか「沖縄トラフ」(尖閣諸島から久米島の海溝)を「中国のモノ」と主張している。
 国連海洋法条約では、境界画定に合意するまでは「関係国は最終合意への到達を危うくし、妨げないためのあらゆる努力を払う」と定めている。中国は一九九〇年代末までに平湖ガス・油田の採掘施設の建設を進め、次にそこから百数十キロ南の春暁でボーリングを行った。それが採掘施設の着工につながった。この間、日本は何もしなかった。だから中国は「あれは中国領だ」と錯覚するに至ったのである。

 米軍と台湾と日本との水面下の連携が進んでいる。米国は「台湾関係法」があって、台湾を守る条約を結んでいる。日本は台湾との間に安全保障条約はない。
 中国の原子力潜水艦が日本領海を侵犯したときに、日本は意外に強い態度にでた。
 ニューヨークタイムズは「平和憲法」との兼ね合いに焦点を当て、「日本の警戒行動は簡素な程度で、一発の砲撃もなかった。しかし平和憲法で長く行動が拘束されてきた日本が軍事能力を開示したことは希有のことだった」(05年11月11日付け)。
 だが例によって中国軍潜水艦の領海侵犯の第一発見は「神の声」、つまり米軍の偵察情報が自衛隊にもたらされ、航空自衛隊P3Cオライオン機が追尾した。日本に独自の「発見能力」があったわけではなかった。
 ところが第一発見は台湾軍であったという説がいまも根強く残る。
 漢級原潜の領海侵犯が明らかになったのに王毅・駐日大使(当時)は「日中間にはときとして波風もある」などと和歌山県で自民党関連団体に呼ばれて講演した。しかし最後まで中国の侵略行為に謝罪をしなかった。
 こうして日本と台湾にふてぶてしい態度を撮り続ける中国に、日本はいつまでもぺこぺこと土下座しては、隣国で重大な友人でもある台湾からも見放されるばかりか、アジア全体が日本を「侵略者に手を貸す国」という風に位置づけるようになるだろう。
 日本は身近な外交において毅然として立ち上がらなければならない秋を迎えている。

waku

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