
一般読者にはなじみのない「奠都」(てんと)とは?
奠都とは都を定めるという意味である。都と移すことは遷都である。我が国は古代より遷都は繰り返された。飛鳥、大津、飛鳥浄御原、藤原、平城(奈良)、恭仁京、紫香楽、難波、長岡京、そして平安京に千年、江戸遷都は宣言されないまま明治天皇の御幸で、江戸城に入られ、事実上の首都となった。
遷都論は以前から燻っているが、外国の例でもブラジリア、ネピドー(ミャンマーの首都はヤンゴンから森の中へ)、そしてカザフスタンはアスタナ、現在、インドネシアはジャカルタからはるか遠いカリマンタンの奥地に新都を造営中である。
また政治首都と商業首都を分担するという意味ではニューヨークとワシントン、好例となるのはオランダのアムステルダムとハーグである。スリランカ(旧セイロン)も首都はコロンボではない。スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテである。
評者(宮崎)は「大阪都論」がでたときに『都とは皇居を奠く場所であり、それでは国会開催の詔を読み上げるときに、天皇陛下はいちいち新幹線で上京されるのか』と疑問を呈した。孝徳天皇のおり、難波宮が建設されたが短命に終わり、聖武天皇は一時期難波に移動されたこともあったが、以後、大阪が首都になったことはない。
本書が提唱する奠都論とは、
「天皇皇后両陛下がお住まいの皇居を関西に移し、文化の首都をつくり、東京と二つの首都で新しい国のかたちを創生する。これこそが、東京一極集中を打破し、地方創生に繋げる日本再生の途だ」というものだ。
世界の共通認識であるところの「首都」とは「その国の中央政府のある都市」であるが、それなら鎌倉、福原、江戸は首都ではないが政治の中心だった。
日本の場合の「首都」とは、「悠久の歴史をもつ皇統に於ける『皇居のある場所』という独特の認識がある。
したがって明治新政府の時代、大久保利通は大阪遷都論を主張し、前島密らは江戸遷都論、東西両都論は江藤新平が唱え、ならばと三つを併存する三京鼎立論を木戸孝允が主張する有様だった。
著者の松沢成文参議院議員は言う。
「東京一極集中が抱える大都市問題、地方衰退、災害リスクなどを克服するには、象徴と実務、文化と政治などの首都機能を分離・分権する柔軟な発想」が必要であり『多極分散型国土の形成は、単なる地方振興に留まらず、国家の安全保障、国際競争力、持続可能な社会の実現に直結する』(298p)。
日本のユニークな地域構造は自然、歴史、社会的諸条件が合体した特徴があり、こうした楕円型構造が、中央集権の弱点を中和させ、「東西二つの、しかもある程度性質が異なった集積が、経済と文化の面で相互に刺激し合って大きな効果をもたらしてきた」とする(301p)。
斬新な政策提言ではなく、新書版なのに300ページを超える本書は、国家のあり方を古代からの歴史と文化に照らしての本格的で骨太の「奠都論」となっていて、読み応えがある。
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