辛口コラム

書評その12
飢餓と動乱と人食いの残酷な本質をもつ中国人の葬送のドラマ
埋葬した棺を七年後に取りだして骨を洗い直す風習が意味することは何か?

樋泉克夫著 『死体が語る中国文化』(新潮選書)

『死体が語る中国文化』

 華僑の人脈コネクションと中国人の伝統芸能・京劇の研究では独壇場。この人の右に出る日本人学者はいない。
 樋泉教授の前人未踏の分野が、もう一つあった。それは中華民族の墓の研究家、もっと詳しく言えば中国人の葬儀、葬送、死体への考え方、その扱い方、葬儀の意味。敵への不寛容などを半生かけて研究した集大成。
 ま、驚くことばかり。そしてこんなエキサイティングな本を読むのは久しぶり。端から醍醐味が違う。
 しかも死体を扱うテーマゆえにだろう、文章に独特の艶がある。言い回しも京劇風。テーマにそぐわないような文章の艶もまた素養と筆力の一つだが、地政学の倉前盛通氏の文章も、やけに艶がありましたなぁ。
 これを仮に樋泉流文体とでも定義しよう。どんな学者やチャイナウォッチャーの書くモノより迫力が違うのである。

 さて本論。
 中国は人食いの文化が基本に横たわっている。
 「今、民はおおいに飢えて死に、死するも葬られず、犬猪の食するところと為る。人の相い食するに致る」(『漢書』)
 「城邑を攻剽し、人民は飢因し、二年の間、相い淡食いほぼ尽きる」(『三国志』)

 樋泉教授、まずは古典からいくつも傍証として人々が食い合う様を引用されてのち、こう言う。
 「人民は戦乱に苦しみ、盗賊に襲われ奪われ、餓死者は埋葬されることなく路頭に打ち棄てられ、犬や豚に食べられ、ヒトがヒトを食べる」のだが、これぞ「猟奇小説ではなく正真正銘の正史」、まことに中国大陸は「おぞましき地獄絵図だ」。
 時代が落ち着き、社会が安定し、景気がよくなると、葬送が豪華になり、酒や料理も振るまわれ、喪服にはアルマニーニを特注し、町を歩いている人も葬儀に呼び込んで料理を振る舞って土産を持たせる葬儀まである。

 墓の場所は、風水で決める。
 日本人には信じがたいことが起こる。ま、中国って何があっても驚きではないワンダーランドだから。或るとき、クルマ百台を列ねた葬送の列を評者(宮崎)も見たことがあるが、街を揺らす音量は怨霊かもしれない音響をともない、チンドン屋風の楽団、行進。。。あれは結婚式なのか、葬儀なのか。
 台湾では龍山寺の周りに半日ほど時間をつぶしていると必ずぶつかる。中国では派手は葬儀を湖南省の紹山という場所でみたことがある。
 墓の位置だが、地運という考え方があって、日本のように景色が良いとか海が見えるとかの理由で選ばない。墓も地勢である。
 風水で選ばないと子孫が祟ると、あの共産主義のくにの人々が信仰をもつのは、非科学的である。けれども、それが決定的に中国的である。そうやって墓地をきめ、墓石の格好まで決める。あの世に通じる通貨も葬儀屋には必ず置いてある(本書にはその見本写真が挿入されているが『冥都銀行券』とあって、デザインは鐘麒か、閻魔大王。金額が「四億元」という、子供銀行券のような、通貨だが。。。)。

 風水師がもしふさわしい場所の方角に公立公園を指定したら、平気で公園を掘って、棺をうめ墓を建てる。これは中国全土で話題となるが、潮洲市の公園にかってに建てられた墓の立ち退きをもとめて共産党委員会が立て札を立てた。が、どの墓も移転しない。調べると共産党幹部のお墓だったり。
 『活墓』というのは、生きている裡にこしらえておく、日本流の「寿墓」、「寿稜」だが、これまた風水によるため、な、なんと三峡ダムの記念公園にも夥しく建てられているというではないか。
 さすが「上に政策あれば下に対策有り」の国である。

 華僑には一度埋葬した棺を掘り出し、骨を洗い直して最埋葬する伝統がある。
 これはクーリ―(苦力貿易)でアメリカにわたって重労働のあげくに死んだ人を、仮埋葬ののち、七年後を目処に掘りかえし、骨を洗い直して、故郷へ送り届けた風習からだという。そういう専門業者が香港にたくさんいた。
 筆者の樋泉教授が実際に初めて目撃したのは四十年前の香港。「世界各地から送られてきた棺や遺骨はトランジットで立ち寄った香港の『死者のホテル』で小休止したのち、故郷へ戻った』と推測されるという。
 この異色の死体読本、葬送文化からみた中国人論であるとともに衝撃の缶詰でもある。

waku

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