辛口コラム

書評その29
歯切れ良く大胆に現代政治の不毛の本質をえぐる快著
霧の彼方に沈む政治評論や分析の蒙昧さをばっさりと切り捨て


遠藤浩一著 『政権交代のまぼろし』(産経新聞社)

『政権交代のまぼろし』

 歯切れの良い文章、躍動的な分析、この骨太の政治評論は記念碑的名著になるだろう。

 この著作の前に遠藤氏は『消費される権力者』(中央公論社)を上梓している。内容はと言えば「小沢一郎から小泉純一郎へ」。こんどは「小泉純一郎から小沢一郎へ」。(うん? ちっとも変わりばえしないのか、日本の政治は)。
 冒頭から評者(宮崎)の私事にわたるので恐縮ながら、国内政治に興味を失ったのは永田町で二流の人物等がなにをどう獅子吼して、「カイカク」しようが日本の政治は停滞し、ボウフラが湧き、国民の期待を裏切り続けるだろうという見通しの下に、最後に細川連立政権が生み出すダイナミズムに政界再編をちょっとだけ期待したことがあって『新しい政治トレンドを読む』(日新報道)という本を書いた。淡い期待さえも殿様政治の優柔不断と自民社会連立という奇術のまえに無惨に裏切られ、小沢一郎は以後、権力を求めるだけの政治屋になった。
 政治は力だが、力の裏打ちに愛国心があるべきであり、それがない政治家には絶望しかない。それにしても日本の政治からダイナミズムが失せ、あまりに自律の精神もなく、小生は国内政治を論じなくなった。
 自民党をぶっ壊すといった小泉純一郎がなした種々の改悪と靖国参拝という浮世離れしたパフォーマンスと安倍政権が理想とした「戦後レジュームの脱却」に関心を抱いたものの、率直に言って淡い期待さえ抱くことはなかった。
 そうそう、あのとき遠藤さんにも言ったのだ。「山が高ければ谷は深い。期待が大きいと失望は深い」。

それはニヒリズムではなかった

 遠藤浩一氏は今年の『正論大賞新風賞』受賞。拓殖大学大学院教授。政治評論家でもあるが、三島由紀夫、福田恒在を論じて思想論争をこのむ特徴を持たれ、あまつさえ自らが演劇人でもある多芸の人。演劇で鍛えた舞台度胸があるのか、演説してもメリハリが利いている。

 遠藤氏の事実上のデビュー作は『消費される権力者』だが、編集担当の平林孝氏は、夥しい名著を世に送り出した名編集長として知られた。不幸にもガンで早世したが、最初に紹介してくれたのは中川八洋氏で、その後、村松剛氏を囲んでワインを呑む会があったり、一緒に台湾へ行ったこともある。超張英氏『台湾をもっと知って欲しい日本の友へ』も平林氏に頼んで上梓して貰った。その平林氏の鑑識眼に叶ったのが前書で、遠藤さんの力量はデビュー当時から高く評価されていたわけだ。

 さて本題に入る。
 「民主党」なるものの本質に迫るため本書では最初に簡潔な人物評がある。
 鳩山は「ブレることに痛痒を感じない」人物で「この党首には『軸』が存在しない。よくいえば環境の変化に柔軟に対応するタイプ、悪く言えば節操がない」。
また小沢は『思想にぶれがない』というのはタダの一点。国連至上主義だけがぶれないのである。
小沢には「戦後平和主義に近い発想が根底にあるために(党内左派)とも距離が近くなる」。つまり「原理なき『原理主義者』」が小沢である、と本質をぐさりえぐり出す。
 なぜこの程度の小さな、あまりにも矮小なマキャベリストしか、現代の日本にはいないのか。
 遠藤氏は次のように言う。
「欧州における冷戦の停止は東アジアの冷戦構造をより際立たせただけだったが、日本国内の政治状況は左翼勢力の衰退というかたちではっきりとした影響を与えた。すなわち平成以後の各種選挙を通じて明確に見られたのは、左翼支持層が激減し保守中道層が増大するという傾向であった。にもかかわらず、自民党はその保守中道層からの支持を吸収しきれなかった。なぜか。冷戦の勝者の側に立つべき自民党が、いつも間にか敗者のほうに擦り寄っていたからである」(本書157p)。
 自民党は党内の、それも中枢に極左分子をかかえ、党綱領をなげうってリベラル路線に急傾斜し、あまつさえ公明党と数あわせの連立を組むうちに保守としての存立理由を、いや存在理由を見失った。マスコミの政治主導、情報操作の影響も大きいだろう。
 自滅は早々と予測されていた。

「二大政党の政権交代」という表層の分析は危険である

 昨夏の民主党圧勝のあと、多くの政治分析をみたが、どれもこれも自民党にお灸をすえたとか、これで英国保守党のように政権回復には十年かかるという議論が横行した。
 評者(宮崎)もこうした議論にはついていけなかった。
 保守vs革新で、日本の政権交代をみているからである。これは自民vs民主という『二大政党』の交替にみえて、じつはそうではない。
 なぜなら日本は二大政党ではないからである。
 すなわち遠藤氏が言うような「その場その場で勝てばいい」という自民党には基本綱領をまもる意思はもはや消え失せており、「政権を維持し続けること自体が目標になった」野合の集団となり、その自民党に保守思想の軸はもはや影も形もない。
 同様に民主党には革新思想の基軸が存在しない。
 したがって、これは二大政党政治ではない。鵺的集団でしかない。
 鵺たちがふたつのグループにわかれてあらん限りの罵詈雑言をぶつけ合うのが、現代政治の構図である。

 遠藤氏はこうも言う。
 マキャベリが箴言に残したように「これほどまで痛めつけられ、弱り果てた」風土に「強く雄々しき人間がうまれないと同様に、日本では「強く雄々しく国を愛する指導者の不在」がある(本書102p)。
 『平成の日本政治の現場でも、武村正義や野中広務、小泉純一郎、そして小沢一郎といった『小さなマキャベリスト』が跋扈した。『小さな』という形容詞を付したのは、彼らの政治軌跡にマキャベリズムに不可欠の『正しい目的』が見あたらなかったからである』(103p)。

 民主主義とファシズムが対立する概念ではなく、同根の危機を内包するシステムであるという遠藤氏の指摘は正鵠を得ている。
 ヒトラーはワイマール共和国という史上稀な民主国家から生まれた。戦後日本の平和民主主義は小沢という小さな、小さな擬似ヒトラーを産んだ。
 欧州はマキャベリストたちが政治を司り、日々謀略と駆け引きで会議は華やかに躍り、ロシアには旧来の帝国主義的なピョートル大帝が復活して牙を研ぎなおし、中国には侵略的全体主義が世界に立ち向かい、中東から南アジアにかけては原理主義の乱暴者が政治を壟断している。
一方で日本の同盟国である米国は「力と畏怖」というリバイアサン国家の建設に挫折をくりかえして世界を破滅に導く危険なリベラリズムに急傾斜し、まさにこういうときに日本には小悪人と小さな小さな全体主義者はいても、婆娑羅も巨悪も、国粋的な愛国者もいない。その替わりに、小さな小さな小さな小さなマキャベリストたちがいる。
 だから日本の政治は面白くないのだ。
「いまの日本の政治状況とは「保守の分散に乗じて左翼や特定の団体が分不相応な影響力を行使するという事態である。問題の根は『二大政党』にあるのではなく、保守の分散によってノイジー・マイノリティが漁夫の利を得ている」だけであり、これを「二大政党制という制度上の問題に論点をすり替えるのは間違っている」(本書276p)。

 逆説的ながら、評者は鳩山政権の無恥による政治混乱に大いに期待している。

 その子供じみたマニフェストによるカイカクを期待しているのではない。国家を危殆に瀕するほどの馬鹿をやりかねない、その極度の子供じみたセイジに、ひそかに期待している。鳩山友愛路線は敵対国に媚び、同盟国を怒らせ、戦後営々として築きあげてきた安定をぶっ壊そうとしている。
となれば、確実に乱世がくるだろう。政界再編は、その騒擾のなかでしか起こりえず、乱世にしか英雄は出てこないからである。

 遠藤氏は、再びの保守合同を結論としている。賛成である。日本が救われる道はそれしかないからである。



ふたりの思想家、文学者を通して俯瞰する戦後史
日本の政治、社会を俯瞰しつつ思想遍歴をダイナミックに描いた力作

遠藤浩一 『福田恒存と三島由紀夫』(麗澤大学出版会)

『福田恒存と三島由紀夫』

戦後の「のっぺりした時代」をふたりは対照的に生きた

 本書は日本の戦後精神史、戦後政治論になっているポイントに大きな独自性がある。
 「福田恒存や三島由紀夫が生きたのは東西冷戦といふ時代」であり、ふたりは「その時代を生き、その中で考え、表現し続けた」と遠藤氏は規定しつつ、「戦後ののっぺりした時代は福田にとっても三島にとっても苛立たしく不快なものだった」。福田は「複眼への意思」を強くして「戦後を生きようとした」のに対して、三島は「のっぺり」の時代を「内部の陰影を自らの美意識に向かってデフォルメしていった」と評される。
 「戦後の日本が経済成長だけを目的として国家運営をしてこられたのは」、「冷戦という外的要因のおかげであり、殆ど僥倖のやうなものだった。その後のグルーバリズムそのものに反対したところで日本が生きていけないのは言うまでもないが、グローバリズムの暴走を食い止めるには、そこに自らの意思を注入することである。他者に対して自己の意思をつきつけるというのは『商』ではなく、『政』である」。
 こうして本書では日本の戦後政治を基軸に歴史を俯瞰しつつ、ふたりの巨人の思想遍歴と精神の軌跡を克明に追った。
 『正論』での連載は三年半に及び、単行本は上下弐巻、じつに千二百枚余の浩瀚、書くのはもちろん大変だが、読むのも難事業である。

 福田恒存と三島由紀夫はよきライバルであり親友であり、しかし演劇活動では仲違いもし、論争は喧嘩腰の侃々諤々、いまから思えば古き良き時代だった。二人が対談した雑誌はよく読んだ。
 三島は福田を「暗渠で西洋と繋がっている」と揶揄した。福田は三島の暗渠は日本と繋がっているなど丁々発止、虚々実々のやりとりの妙も興味津々だが、とりわけ「文学座」分裂の前後、新しい演劇集団の交錯、俳優らの取り合いなど外から見ていた分かりにくかったあの時代の状況を、絡み合った糸を丁寧に解しながら真相に迫る。
 本書の特徴のひとつは著者が演劇人でもあり、微細にわたる演劇界の戦後史も書き込んでいるところにある。演劇世界をしらない読者には初めての事実の開陳に驚きを禁じ得ないだろう。
 もっとも評者(宮崎)も演劇界の出来事はよく知らず断片的な情報した当時もいまも知らないが、福田氏が平河町のオフィスに陣取り、演劇プロジュースをしていた頃、ときおり会ったことがあるので、演劇世界における駆け引きが政治と似ていると思ったことがある。

60年安保でのふたりの立場は対照的だった

 話を本題に戻す。
 戦後の空白期、三島は寓話的表現を通じて主権不在の日本の状況を書いた(たとえば『鍵のかかる部屋』)。ところが福田はむしろ戦闘的に左翼文化人の虚妄と戦った。
 60年安保のとき、三島は反対運動のそとにいて「岸は小さな小さなニヒリスト」を評論し、安保騒動には冷ややかだった。しかし三島は「自分もニヒリストであると自己規定し、しかし『私は小説家であって政治家ではない』と(弁明的に)述べている」
 日本がまだGHQによって占領されていた昭和二十六年に三島が書いた『禁色』には檜俊輔という作家が登場し「愚行を思想から峻別した」などとして「思想についての思想」は、「俊輔の観念のやうでもあるし、作家独自のもののやうでもある。要するに思想と行動を完全に切り離し、思想は付け焼き刃のようにあとで生まれたものであって、とどのつまり、思想なんて信ずるにたりないもの」というスタンスが示される。
 だから当時の三島は「祖国の主権回復に対してはきはめて冷淡だった。そこに欺瞞を発見したからである。三島にとっては、主権回復も安保も、『思想』から分別された『愚行』でしかなかった。欺瞞に満ちた形で独立を回復した日本国の日々は、あたかも檜俊輔の生活がさうであったように、蹉跌の連続、誤算と失敗の連鎖としか、三島には映らなかった」という遠藤は氏、それらを三島は正面にすえたテーマとはせず、「韜晦につぐ韜晦を重ねた」のだとする。
 したがって60年安保騒動の時点で三島の立ち位置は曖昧だった。深沢七郎の『風流夢譚』事件前後には、サヨクと誤解され自宅に警備陣が張り込んだこともあった。
 三島が思想色を鮮明にだすのは東京五輪前後からだ。そして『憂国』『喜びの琴』『文化防衛論』へと突っ走る。

 さるにも晩年の二人はなぜ対立したのか。
 評者は学生時代に保守学生運動をしていたので三島由紀夫と福田恒在に、それぞれ三回、講演に来てもらったことがある(拙著『三島由紀夫”以後”』(並木書房参照)。
 個人的つきあいは深くないが、楯の会結成前夜の三島の思想遍歴を時系列にたどると、福田恒存との対談の内容においてさえ微細な変化がある。とくに改憲をめぐって三島が法理論的に分析すると福田は「法学部さがり」とからかう。そうした行間に大きな懸隔と変貌を嗅ぎ分けられるように三島は徐々に神秘的な攘夷思想ともとれる考え方に走る。対比的にこんどは福田が冷静だった。
 福田恒存と三島由紀夫が「戦った相手は進歩主義であり、破壊主義であり、機械主義であり、便宜主義であり、あるいはニヒリズムであった。軽蔑したのは偽善であり知的怠惰であり、安易な現実肯定主義であった」が、ふたりの「構えかたは『反戦後』などといふ陳腐なものではなく、戦後という時代を、両手を広げて引きつけつつも、これを疑い、時代を歪めているものを暴き、矛盾を衝き、ゆがみや矛盾に恭順する安易な処世術を嫌悪し、知的怠惰を叱り、日本人の本気の所在を問い、常識の復権を求め、美意識の研錬を実践した」。

「三島の自決はわからない、わからない」と表した福田の真意

 三島の自決を聞いた福田は「わからない。」わからない。私には永遠にわからない」と発言したと当時の東京新聞が報じ、週刊誌が「名言(迷言)として伝えた。
 評者は、その後、福田の真意を確かめたくていたところ、おりからの福田恒在全集の三島論が納められているのを発見した。
 (直後にわからない、わからないと新聞に答えた氏は)「もし三島の死とその周囲の実情を詳しく知っていたなら、かはいそうだとおもったであろう、自衛隊員を前にして自分の所信を披瀝しても、つひに誰一人立とうとする者もいなかった。もちろん、それも彼の予想のうちに入っていた、というより、彼の予定通りといふべきであろう。あとは死ぬことだけだ、そうなったときの三島の心中を思うと、いまでも目に涙を禁じ得ない。が、そうかといって、彼の死を「憂国」と結びつける考えかたは、私は採らない。なるほど私は「憂国忌」の、たしか「顧問」とかいう有名無実の「役員」の中に名を連ねてはいるが、毎年「憂国忌」の来るたびにそれをみて困ったことだと思っている(中略)。二十年近くも(憂国忌を)続けて行われるとなると必ずしも慰霊の意味だけとは言えなくなる」(中略)「憂国忌の名はふさわしくない。おそらく主催者側も同じように悩み、その継続を重荷に感じているのではなかろうか」と言う。
 福田氏の推論が正しいか、どうか。おそらく間違いであろう。三島は「自分の行為は五十年後、百年後でなければ分からない」と、その営為をむしろ後世の再評価に賭けた。
 ともかく、この短い文章だけが、三島事件から十八年後、昭和六十三年に初めてかかれた「三島事件」への福田氏の感想である。
 「福田恒存在全集」第六感の「覚え書き」として、つまり全集の購読者用に書き下ろされた覚え書きにさりげなく記されたので、評者(宮崎)もしばし気がつかなかった。

 遠藤浩一氏も、やはりこの箇所を捉え直し、次のように総括している。
「わからなかったがゆえに、冷静な福田の口から、感情的な言葉が迸ったのではなかっただろうか(中略)、三島という対象を突き放しているわけではない。三十数年来の知己を、わかりたい、嫌いたくないと思えばこそ、こうした言葉が思わず飛び出したのである。そこに福田恒在の三島由紀夫に対する哀惜が滲み出ている」
 「三島由紀夫はリアリズムを、フィクションをフィクションとして受け入れるための消極的約束事をして、徹底して扱った。そこに比類のない存在感を発揮する作家だった。そのことを逸速く見抜いたのが福田恒在だった。三島の文壇へのデビュー作『仮面の告白」の解説で福田は、『三島由紀夫は無から有を生む手品師』『比喩的なレトリックが軽快な一回転とともに、虚を真実にすり替える』と評価した」
 本書はありきたりの作品論や文学論を超えて、ふたりを思想家として捉えているのでダイナミックな戦後日本論になっている。


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