辛口コラム

書評その32
ワシントンのホンネとタテマエがいきいきと描写され
日本の核戦略の不在、安全保障論議のいびつな構造をえぐる


伊藤貫著 『中国の核戦力に日本は屈服する』
(小学館101新書)

『中国の核戦力に日本は屈服する』

 核戦力の飛躍的充実を背景に中国の軍人がいかに傲慢になったか、本書は簡潔にひも解いて見せる。
 中国は対米交渉で屡々「核カード」を切って白昼堂々と米国を恫喝してきた。
 とくに1995年以後、台湾併呑に反対して米軍が介入すれば中国は核を使用するが、そのダメージに米国は耐えられず、けっきょくは台湾への軍事介入を諦めざるを得ないという雰囲気を米国内に醸成させるという副次的目的をともなった、強硬発言が続いた。
 95年にフリーマン元国防次官補が北京で熊光偕副参謀長にあったとき、熊はこう言い放った。
「中国は既に米軍が破壊することの出来ない移動式の核戦力を保有している。われわれにロスアンジェルスを攻撃されたくなかったら、台湾紛争に介入するなと恫喝され」た。
 「当時、中国はアメリカから盗んだ核弾頭技術を利用して最新型の移動式、多弾頭ICBMを増産中だった」(中略)「96年二月に訪中した米政府高官に『アメリカと中国が軍事衝突すれば、われわれはニューヨークにかくミサイルを撃ち込む用意がある。それでも介入するつもりか』と恫喝された」。
 最強硬派のコンビと言われたのが、この熊光偕と、もうひとりは朱成虎である。
 2000年2月、朱成虎大佐は、人民解放軍の機関誌に「中国は、非核のイラクやユーゴスラビアとは違う。中国はアメリカを核攻撃する能力を持っている。アメリカが台湾紛争に介入しようとするならば、強烈なダメージを被る結果となる」
と書いた。
この朱成虎は、すぐに少将に出世して、2005年にこう言った。
 「いざとなれば、中国はアメリカと核戦争する用意がある」(外交シンポジウムの席上)
 「中国政府の『核兵器の先制不使用』という原則はいつでも変えることの出来る政策だ。もしアメリカが台湾紛争に軍事介入するならば、中国はアメリカに対して核兵器を先制使用する」
 このニューク・ブラックメールは本気でもあり畏怖をあたえる政治宣伝でもあるが、その裏打ちは数千発もの核兵器を現実に中国が保有していると事実である。

 こうして本書は、みなぎるようなパワーが随所に籠もっている。
 はじめからおわりまで終始一貫、なるほど筆者の名前も「貫」である。
日本の主権を守り独立を達成するために、日本は核武装するべきである、と単純明快、それも国際政治学者にありがちなレトリックや複雑な論理の組み合わせや、ややこしい表現や、洒落た引用は一切度外視されており、ひたすら核武装の勧めである。
 冒頭から巻末まで、いかにすれば日本は核武装を達成できるかを説いている。
 評者(宮崎)から見れば、この議論は新しいところは殆ど無い。主権と独立をつきつめていけば、当然得られる日本の防衛のための論理的帰結であって、飛躍的論理でもなければ、不思議でさえない。
 振り返れば昭和四十二年(1967)に早稲田大学で『国防部』なる同好会をつくり、体験入隊を繰り返したり、学園祭に核武装の出展をしたり、やがては全国二十数校の大学に『国防研究会』が発足し、翌68年には戦後初の国防力強化を訴え、自主防衛を標榜する学生組織、「全日本学生国防会議」が誕生した。
 初代議長は森田必勝がつとめ、三島由紀夫が応援に駆けつけ、やがて二人は貳年後に市ヶ谷台へ赴いて自決する。
 その森田が核武装論を書き残しているが、内容はここで繰り返さない(詳細は、森田必勝遺稿集『わが思想と行動』、日新報道参照)。

 本書に戦術的な新しさがあるとすれば、伊藤氏は巡航ミサイルによる小型核の武装を説いている箇所だろう。しかし、今日、日本政府が核武装を決意しても達成までに十年はかかる。中国の核戦力は十年後に凄まじいことになっているが、はたしてそれに対抗できるのか、間に合うのか、のタイムテーブル的な議論はない。
 二年ほど前から評者(宮崎)が主唱しているのは、もう時間的余裕がないのだから、核兵器をパキスタン、印度あたりから買うか、核兵器付きの米空母、潜水艦を押収するか、である。前者はこれまでの援助と交換に秘密取引で可能だろうし、後者は共和党政権ができて水面下のネゴシエーション次第では可能であろう。
 そうしたシミュレーションを開始すべきである。しかし現在の権力中枢は空っぽ、そういう胆力の備わった政治家、外交官がいるか、どうかだが。

waku

表紙

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