辛口コラム

書評その35
非常事態に無能の政治家を目撃する日々に
藤嘗てのこれほどの決断力と実行力をもった指導者がいたのか


中村彰彦 著
『花ならば花咲かん 會津藩家老田中玄宰』

(PHP)

『花ならば花咲かん 會津藩家老田中玄宰』

 中村彰彦の新作は雑誌連載が三年前からだから、東日本大震災の復興に時代的焦点を当てたわけでない。けれども復興ビジョンが欠落し、リーダーシップが行方不明、財政の確立が不明確という現代日本の状況に、この本はまさに示唆的で有益である。タイミングは偶然あったに過ぎない。
 中村彰彦にはすでに幾多の名作があるが、いずれも歴史に埋もれた名将、名宰相を見つけ出して、丹念な時代考証のすえに現代に豁然と蘇らせる。
 その作業は歴史評価の転換をともなうことが多く、価値が高く、しっかりと安定的ファンにも取り囲まれた。ベストセラーとなった會津藩祖『保科正之』(中公新書)しかり、松平定信(『智恵伊豆に聞け』)しかり。新撰組の隠された秘話も、名将・島村速雄も、誰もかれも。
 この小説はやや長編だが、一冊本。それでも読み通すには三日を要した。
 波瀾万丈の田中玄宰の人生は會津の発展と興隆、そのため中興の祖としての家老の大活躍を描いたものだが、当時の右肩さがりの経済状況のなかで、しかも鎖国していた日本の江戸中期はどの藩も財政赤字に悩みながらの現状打破。借金を重ねる担保(赤字国債)、輸出奨励、投資マインドなど、現在経済学ならびにビジネスマンとくに企業経営者が読むと参考になる、艱難辛苦の物語でもある。
 先日までの流行は上杉鷹山だった。直江兼嗣もでてきた。
 さて本書の主人公は江戸中期の藩政改革を断行した會津藩家老の物語。
 田中玄宰が會津藩家老を継いで明らかとなった事態は五十七万輌という途方もない赤字体質。しかも人口が激減していた。理由は災害、飢饉、風俗の乱れ、士気の衰え、そして他藩への流失であった。基本には教育上のアキレス腱が存在した。
 倹約だけでは立ちゆかない。根本にあるのは教育の立て直しにあるが、藩校を建てようにも財源がままならなかった。
 會津漆器を魅力的に商品と変え、上方へ輸出するにはいかなる工夫が必要か。會津盆地で高麗人参の栽培はできないか。江戸で高価な鯉の養殖が可能ではないのか。
 會津は水がきれいなのに清酒がまずいのは何故だ? 田中玄宰は灘と伏見から杜氏を招いた(エンジニア招聘)。各地の水を視察させ、湧き出る名水のほとりに酒蔵を建てた。こんにちの會津には銘酒『栄川』、『會津誉』など二十数社の醸造メーカーが犇めくが、源流の清酒製造は、この名家老のアイディアからでた。
 余談ながら二十年以上前、中村とふたりで會津へ行った折、郷土史家の案内でたまたま栄川本店を訪問し、利き酒をいただいたことがある。社長室の額には海音寺潮五郎らからの礼状がかかっていて、しかも會津一の高級吟醸酒の名前を「玄宰」ということを知った。
 高麗人参も山陰へ人を派遣し、種を大量に仕入れて會津各地に撒き、一番育つ場所を見つけた。鯉の生育にも力を注ぎ、経済を立て直した。
 この小説の場面にもでてくる松平家歴代墓所、猪苗代のはにつ神社、東山温泉、薬草園、日新館(藩校)、武家屋敷など評者(宮崎)も何回か行った。
 なお、著者はおそらく意図して示唆しなかったのだろうが、この主人公=田中玄宰は歴代會津家老の家柄、その末裔が明治後期、ひとりの風雲児を産んだ。その男は東大へ入って新人会へ所属し、学生運動で大暴れを演じ、さらに戦後は世界を飛び回って、各国指導者と親交を結び、欧米で“東京タイガー”と渾名され、日本では『昭和の怪物』と言われた。誰のこと? かの田中清玄である。

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表紙

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