辛口コラム

書評その47
葬儀は文化である

大川誠司 著『不思議の国ニッポンのお葬式』(啓文社書房)

『不思議の国ニッポンのお葬式』

 人間に貧富の差別あり、美醜の違いあり、才能の格差あり、しかし平等なのは、どんな人間も最後は死ぬことである。
 死を前にして人生のまとめを計算しながら日々を送る「終活」などという語彙が流行語になる時代である。
 団塊の世代がそろそろ人生完結の準備を始めるため葬儀、お墓の需要が高まるかと思えば、海に遺骨を流すようなセレモニーも合法化され、普及し始めた。
 なかには合同あるいは共同墓地を希望したり、葬式は不要、すくなくとも坊主を呼んでのお経は要らないという人も増えてきた。驚いたのは火葬に際して棺おけも要らないという吝嗇家も出現したとか。嘆かわしい傾向でもあるが、自分が無神論者だと錯覚した日本人が戦後教育のために確実に増えた証拠でもある。また少子高齢化、人口の都会集中によりコミュニテイィが崩壊しつつある我が国の現象に呼応した傾向である。
 そういう日本人に限って正月には神社へお参りし、葬儀になると突如仏教徒にもどる。日本のキリスト教信者も人口の1%近くはいるらしいが、大概が仏式で葬儀を行う。カソリック教会で葬式をおこなった著名人といえば遠藤周作、渡部昇一氏を思い出す。僧侶を呼ばず、無宗派のかたちだが、青山祭場などで盛大な葬儀をした著名作家、芸能人は枚挙に暇なく、評者の知り合いでも村松剛、木内信胤氏らがそうだった。めずらしくロシア正教会(神田ニコライ堂)で正教会形式の葬儀をおこなったのはソルジェニツィンの翻訳家としても知られたロシア文学者の木村浩氏だった。評者はいずれの葬儀にも列席しており、式次第の観察を通して文化的、風俗的な学習にもなった。
 海外でも台湾の親友を亡くしたときは対北へ富んで葬儀に列席した。在日外国人でも評者が保証人をしていた英国人が事故死したおりは両親が訪日して仏式でやりたいというので通夜、葬儀の手配から菩提寺の選定まで世話をしたし、ベトナム人の葬儀ではなんと家族的なコミュニテイィ挙げての、愛情豊かな儀式であることかと感動したものだった。後者ベトナムの場合は、僧侶を呼ばず、経をそらんじる友人等が僧衣をまとい、長い音楽のような東南アジア特有の御経を皆で読経するのだった。
 ことほど左様に葬儀とは単なる儀式ではない。葬儀は文化なのである。
 生前葬を行う人も多い。しかしお墓を準備せずにセレモニーだけ執り行っても残された人が困るだろう。生前葬にも何回かでたことがあるが、人生のまとめをスライドで演出したり、友人に予めの「弔辞」を読ませたりの工夫が見られた。海に遺骨を散歩したのは、畏敬の友、片岡哲哉氏の時でヨットのうえで、ハイネの詩を朗読し、海に遺骨を散布し、ワインを注いだこともあった。

 さて本書は葬儀屋としてもベテランの筆者が、その営業活動を振り返って、やさしく書き下ろした入門書のかたちをとっている。
 前半が葬儀の定番である通夜と告別式、初七日のノウハウ、後半は喪中欠礼のハガキから、形見分けの遣り方など、そして高齢化社会から介護の問題に及び、その基底に流れるのは日本文化論、あるいは世界宗教比較論である。
 評者は著者の大川誠司氏と半世紀近い交友関係にあり、実際に自分の壽墓建立のときも手伝って貰った。そればかりか墓石の手配もお願いした。くわえて他人様の「偲ぶ会」も何度か共通に組織した経緯もあるため氏の宗教儀式に対しての博学ぶりはよく知っている。
 まず日本の葬儀は99%が仏式で営まれ、99・9%が火葬されるという。日本では森林葬や鳥葬などは希である。
 となると葬儀の準備の段階で「はて我が家は何宗か」「戒名は誰に頼むのか」「行政の手続きはどうすれば良いのか」と初歩的に疑問を抱く人が夥しい。これは日頃の信心が足りない証拠であり、先祖代々のお墓を守り供養と続けてきた家庭ならあり得ないことだ。ところが都会で、しかもマンション暮らしの現代人には日常的に起きている現実だ。
   戦後のアメリカ的文化要素が加わって日本人が伝統ということを深く考えなくなった結果、起きてきた珍現象であって、諸外国では考えにくい。世界を見渡しても無神論が多数派の国と言えば、チェコ、ドイツ、アルバニア、そして中国大陸くらいだろう。チェコとドイツはフスの火あぶり、ルターの宗教改革があって既存の教会への不信感が拡がった結果であり、アルバニアは独裁政治の残滓、中国の場合は共産党そのものが「一神教」であるがゆえに他の神々を認めないからだ。
 ところが中国でも民衆は仏式か道教儀式で行い法律では禁止されている筈の土葬の伝統を守っている。だからノーベル平和賞の劉暁波氏の葬儀にあたって家族に水葬を強要し、遺骨を海に流すことを命じた中国共産党の遣り方に中国民衆は怒りを抱いている。香港のような土地の希少なところではお墓がマンション形式である。中国民衆は末端の社会生活に於いてじつは葬儀を非常に重視している。
 いずれにしても通夜、葬儀に関する知識を生前から身につけておかないと悪徳葬儀屋にたっぷり費用をとられるからご用心めされ、と警告が述べられている。
 つぎに重要なのは故人の財産処分であり、遺言があれば弁護士立ち会いの下に整理し、或いは略式裁判で解決することもあるが、財産わけをめぐる醜い争いが絶えず、とくに有名人の死後の不名誉に関しては週刊誌のスキャンダル報道でお馴染みであろう。
 著者の強みは銀行に身を置いた経験があり、何回も財産争いの現場に立ち会ったことがあるため数々のアドバイスが有益な参考となる。

 さて本書には日本の葬儀スタイルの源流に関して歴史的考察がなされ、これが本書の肯綮のひとつと言える。
 曰く。
 「古代エジプトではミイラづくり、ピラミッドの建設と途轍もない国家事業の葬儀産業があったことはうかがい知ることができます。
 では東亜ではどうだったのでしょうか。誰が葬儀屋を始めたかは歴史上判明していません。少なくとも、春秋時代の支那では葬儀業がありました。孟母三遷の教えを見れば明らかです。もっと具体的には孔子様です。約二五〇〇年前の人です。孔子様は葬儀屋です。周礼、孔子の時代から三〇〇年ほど前の周公の礼法を至高のものとして、その周礼の採用を諸侯に説き、仕官を求め続けました。(その時点で)三〇〇年前の礼法を取り上げる諸侯はなく、孔子様はなくなりました。今でいえば、三〇〇年前は、赤穂浪士討ち入りの時代くらいです。その時代の礼法 祖先祭りを平成の御代に説いて回っても誰も取り上げてはくれません。孔子様は失意の中で死に、語録としての論語が残っています」
 なるほど、孔子様が「葬儀屋」であったとは本書における最重要箇所である。
 評者は中国山東省曲阜の孔子廟と、杏林堂(孔子学院の源流といえる)を取材したことがあるが、どの石碑にも、パンフにもそんなことは書いてなく、参詣客といえば、井上靖の『孔子』の翻訳本など書籍には一切目も呉れずに「孔廟」とかの白酒を土産に買っていた。現世の御利益はお守りだけというさもしい信仰風景を目撃して日本とはえらく違うなぁと関心したものだった。
 いずれにしても本書は単なる葬儀ノウハウではなく、全編に漂う日本文化論の基調を私たち読者は大いに参考とすべきであろう。

waku

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