辛口コラム

書評その48
幕末維新から日清日露、日本のダイナミックな歴史を裁断しつつ
自衛力のない日本外交は福沢諭吉の警告を忘れていないかを問う


渡邊利夫 著『決定版 脱亜論』(育鵬社)

『決定版 脱亜論』

 一年の計は元旦にあり、まさにそれを考えるにふさわしい書が、本書である。
 題名から判断すると、一見、福沢の警告本『脱亜論』の現代訳と解題の本かと誤解しそうである。
 ところが本書はまったく異なっての戦略的思考書であり、福沢諭吉の思想と、その執筆動機となった同時代の国際的状況を、現代日本の立ち位置を対比されながら、渡邊氏は我が国の自立自尊の原則的なありかたを追求している。
 同時にこの本は渡邊氏の現代史解釈であり、そのスピード感覚、パノラマ的叙述の展開におけるダイナミズムもさりながら、基礎に横たわる確乎たる愛国心を読者は発見するだろう。
 主眼は下記の訴えである。
 「外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を『引て放たず満を持するの勢いを張る』(福沢諭吉『脱亜論』)、国民の気力と兵力を後ろ盾にもたない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしない、と福沢はいう。極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人が、何をもって国を護ろうと語ったのか、真剣な眼差しでこのことを振り返る必要がある」。
 しかし。
 現代の状況を見渡せば、日本は国家安全保障を日米同盟に好むと好まざるとに関わらず依拠し、しかも歴代自民党が、あまりに依存度を深くしすぎて独立の気概を忘却の彼方に置き去りにしたが、本質的な情勢把握ができている中国は、この日本の脆弱性がどこにあるかを知悉している。
 だからこそ、と渡邊氏は続ける。
「中国が、東アジアにおいて覇権を掌握するための障害が日米同盟である。中国は、みずからの主導により東アジア秩序を形成し、日本の外交ベクトルを東アジアに向かわせ、そうして日米離間を謀るというのが中国の戦略である。日本が大陸勢力と連携し海洋勢力との距離を遠くすれば、日本の近代史の失敗を繰り返すことになる」(236p)。
 たしかに外交の裏付けは軍事力、そして情報力だ。
 この二つを欠如する日本が、アジアの暴力国家群と渡り合えることはあり得ず、北朝鮮の挑発、韓国の暴発、そして中国の『アジア的暴力』に対抗するにはどうしたらよいのか、自ずと結論は見えている。

 渡邊氏はアジア全般の経済に関して造詣が深い学者であるが、いまの中国を、次のように簡潔に概括されている箇所があり、大いに参考になった。
 「古来、中国に存在したのは封建制ではなく、郡県制である。全土をいくつもの郡にわけ、郡の下に県をおき、それぞれの郡と県を中央の直下において、その統治は中央から地方に派遣された官僚によって一元的になされるという、皇帝を頂点とする古代的な官僚政治体制が一貫して踏襲されてきた。朝鮮の王朝は中国のコピーだといっていい。郡県制は、封建制とは対照的な中央集権的で専制的な統治機構にほかならない」(12p)

 まさに中国の政治体制は、いまもこの原則が機能しているばかりか、じつは中国の軍隊制度も同じなのである。すべての軍区が中央軍事委員会直轄となって、習近平皇帝直属の軍隊と組織図的には編成替えされているのである。
 とはいえ、地域的軍閥がなぜ危機になると生まれるかは、じつはその弊害の反作用であり、中央の強圧的求心力が弱まると、自らが遠心力に便乗し得独自的行動を開始する特徴がある。
 念頭に読んで、大いに参考となった。

waku

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