辛口コラム

書評その53
歴史始まって以来、中国と内陸アジアは何回も衝突しづづけてきた
内陸アジアの動静は中華の地政学上の運命を死活的に左右してきた。


楊海英 著
『「中国」という神話――習近平「偉大なる中華民族」の』嘘』
(文春新書)

『「中国」という神話――習近平「偉大なる中華民族」の』嘘』

 始めから終わりまで、膝を叩いて納得できる「真実の中国史」である。日本人の一般読者の既成概念からみれば、真逆の真実が語られている。
 中国の軍事力の脅威は日増しに高まっているが、楊海英教授はまず、その軍事力は内陸アジアに向かっており、「強国」イメージの習近平体制がかかえる最大のアキレス腱は、ウィグル、南モンゴル、チベットなどの内陸部である、と喝破する。
 「歴史始まって以来、中国と内陸アジアは衝突しつづけてきた。そして、内陸アジアの動静は中華の運命を左右してきた。中国にとって、内陸アジアはその死活を握る、地政学上重要な存在」
とする。
 なぜなら「中華の思想や価値観は一向に万里の長城を北へ西へ超えることはなかった。仏教とキリスト教、イスラーム教は中国に伝わって定着したが、中国起源の道教や儒教が嘉谷関より西へ広がることはなかった(中略)。中国的な価値観と思想は、遊牧民にとっては異質な生き方で、受け入れがたい精神として映っていた。つまり内陸アジアの遊牧民にとって、中国人ははっきりと異なる文化、文明に属する」
 だから凶奴(きょうど)、突厥(チュルク系)、吐蕃(チベット)に軍事的に制圧されると、中国は遊牧民に女性を贈ることで「結婚による民族戦略」を行使してきた。
 しかも、中国人の認識では、「中華の嫁を妻とした以上は、うちの婿だ」という中華的で独特な発想が根底にあり、相手の政権は「中華の地方政権」という身勝手な論理が露呈する。
 だから「チンギスハーン」は「中華民族」の英雄となるのである。モンゴル人が漢族を征服した屈辱の歴史は、かくして教科書からも消える。

 そこで、楊教授は二つの歴史的イベントを、克明に詳述する。おそらくこの話、日本人の多くが知らないではないか。
   第一の典型的な「神話」は凶奴に嫁いだ「王昭君」であり、第二が「文成公主」である。
 現代中国では、この二人の姫君が遊牧民に嫁いだことは「和宮降家」のごとき扱いなのである。
 遊牧民の呼韓邪単干に漢王朝は宮廷にいた王昭君を嫁として嫁がせる。紀元前33年のことである。
 王昭君は子をなし、「悲劇的女性」、つまり中華のヒロインとして描かれるようになる。
 歴史改竄は朝飯前、現代中国では、王昭君は異民族と結婚し、その屈辱的な風俗習慣に絶えても宥和をはかったゆえ「民族団結のシンボル」となり、二千年も前から甦らせたのである。
 フフホト郊外に巨大テーマパーク「王昭君墓地」なるものがあって、次々と観光客を呼び込んでいる。復活したヒロインの記念公園には、彼女と夫の呼韓邪単干が夫婦仲良く馬に乗っている巨大な銅像が聳えている。テント村の売店ではチンギルハーンの絵画、人形、Tシャツも売られている。
 評者(宮崎)が、この王昭君墓地を見学したのは、かれこれ十数年前である。タクシーを雇って、フフホト市内から三十分ほどだった。
 車を待たせ、テント村に入り、この新しい神話のオブジェが並ぶ場所(彼女の墓地であるかどうかは誰にも分からない。二千年前の話を突如、甦生させたのだから)を見学した。
 彼女は側室の一人でしかなく、しかも呼韓邪単干の死後は、その息子の側室として二人の娘を産んだ(これが遊牧民独特の「レヴィレート婚」)。
 そうした悲劇のヒロインのわりに銅像の風貌はふてぶてしかった。西安に行くと楊貴妃の白い像があるが、想像より遙かに肥っているように。

 二例目は吐蕃(チベット)に嫁いだ「文成公主」である。
 唐の都・長安はチベット軍に降伏した、唐の王家の娘を吐蕃のソンツェンガンポの元に嫁に出した。そしていま、王昭君と並んで「民族団結」のヒロインとして文成公主が現代中国に甦り、あちこちに記念碑やら銅像が建てられている。
 評者は、文成公主の巨大な白亜の銅像を青海湖を一周したときに山の中腹でみた。
 つくりは観音菩薩のようで、表情は愁いをたたえているかに見えたが、よくよく考えると唐王朝も漢族ではなく鮮卑系である。
 したがって漢族と蕃族の民族団結とはいえないため、中国は「中華民族」なる架空の概念を発明し、歴史教科書を塗り替えてしまった。
 このようにして本書は、これまでの日本の中国史が意図的に語らなかった部分に焦点を当てながら、その歴史改竄の欺瞞、ご都合主義の実態を客観的に冷静な筆致で暴いてゆくのである。 

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