辛口コラム

書評その54

木村汎 著
『プーチンとロシア人』
(国書刊行会)

『プーチンとロシア人』

 一気に読める本である。そのうえ面白い。その活力ある筆致と簡潔な比喩、人間の描写が生き生きとしている。
 プーチンが柔道をこよなく愛しているから日本のことが好きだと日本のロシア分析が飛躍するのは暴論のたぐい、プーチンが柔道に励んだ動機は、彼の幼少のころ、「いじめられっ子」だったからだと木村氏は言う。
 プーチンの闘争の哲学は、このところに原点がある。
 兄二人が夭折したため、母親が41歳で生んだプーチンは溺愛され、それゆえにサンクトペテルブルグの『通り』でよくイジメられた。『通り』というのは不良少年のたまり場である。
 いじめっ子より強くなれば良い、こう結論したプーチンは猛烈に体を鍛える。環境が強い意志をはぐくんだことになるが、短距離出世を狙ってKGBにはいるという直線的な人間でもある。
 つまり、この人生への強い姿勢こそロシア人の基本の掟である。

 「力が正義」なのである。
 「強くなる意志を一貫して抱き」続け、「相手を徹底的にたたく」。そうした人間がロシアでは英雄である。
 ロシア人との交渉事で、妥協は禁物である。そもそも「ロシア語」には「妥協」というボキャブラリーはない。交渉事で、論理が一貫しなくても、ロシア人は気にしない。倫理をまったく重視しないし、交渉においては友情も交友関係も過去の貢献もまったく度外視される。
 つまり「交渉は闘争」であり「交渉は戦争」であり、そして「交渉は武器」なのである。
 なんだか中国人と似ている。ロシアのチェスも中国の将棋にも、そういえば捕虜駒がない。妥協の発想がないという一点に関しては、中ロは二卵性双生児かもしれない。
 「『インテリゲンツィア』という言葉は、日本語における『青白きインテリ』という用法から想像される内容のものではない。必ずしも人間の出自、教育、職業に直目する概念ではなかった。ロシアにおいて「インテリゲンツィア」とは、その人間が自身の高い理想や使命感を抱くとともに、その使命の実現のためには全生命を賭けて戦う準備や姿勢を持ち、かつ闘いを実践中の知識人を意味する言葉だった」(62p)。

 どうしてロシア人がこういう性格を形成してきたのかといえば、第一に気候、天然資源、寒さ、そしてあまりにも広大な土地が原因であると木村教授は言う。
 ロシア人が二律背反を気にしないのも、論理的思考をしないからである。領土は戦争で奪うものであり、政府が何をしていようが、個人レベルでのロシア人はほとんど気にも留めない。
 あれほど凶暴な謀略をめぐらし政敵を粛正しても、ロシア人がスターリンを好きなのは、かれが「大祖国戦争」に勝ったからである。ゴルバチョフに人気がないのは彼が西側に屈服したと感じているからである。

 「ロシア人は、外部の世界に劣等感を抱いている。外国の列強諸国は、隙さえあればじぶんたちに襲いかかろうとする。頭からこう信じている。彼らは外部の世界を疑い、恐れおののいているのだ。(中略)彼らは善意によって差し伸べられた友好の手をいうものを信じようとしない。そこには、何か巧妙な落とし穴のようなものが隠されているのではないかと、疑る。この世に純粋な好意など存在するはずがなく、あるのは闘いのみだ」(178p)

 このようなロシア人気質を了解するならプーチンの謎を解くカギが読める。
 プーチンは強いもの、力を信奉する政治家を好むから、優柔不断で人権と民主とか、浮ついたことを主張したオバマを軽蔑し、短絡的なトランプが好きなのである。三木武夫を嫌い、田中角栄がすきな日本人と、この点は似ているのかもしれない。
 とどのつまり民主政治をロシアに期待するのは無理な注文であり、ロシア人は準独裁、強い指導者が好きなのだ。
 だからシリアへの空爆で、もやもやしたロシアの脆弱政治を吹き飛ばしたプーチンに89%ものロシア国民は賛同し、クリミア併合でも83%が賛成し、西側の制裁なんぞどこ吹く風である。

 すなわち「プーチン外交には、必ずしも確固とした原則や戦略など存在しない。時々の国際状況、とりわけ、『力の相関関係』の変化、そして主要プレーヤーや相手方の出方などを注意深く観察する。その隙間を縫って自国ロシアの影響力の拡大、ひいてはプーチン自身のサバイバルを図ろうとする。すぐれて状況主義的、機械主義的、便宜主義的な行動様式を採る」(143p)
 プーチンは過去18年間、事実上ロシアの命運を左右し、そして次の六年間も最高権力を掌握するだろう。合計24年におよぶロシアの最高権力者は、ピョートル大帝を尊敬しているという。したがってトリックを用いて、自国を実力以上に見せる戦いを続ける。
 プーチンは「勝利をもたらし、ロシア人の不安を吹き飛ばすために,『小さな戦争』を好む」だろう。

waku

表紙

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