辛口コラム

書評その6 卑怯な兵法も日本的「卑怯」の概念で裁断しては中国を見誤る
逃げるが勝ち、食(兵站)を重視の劉邦が勝ったように古今東西の戦闘を一覧

黄文雄著 『戦争の歴史 日本と中国』(ワック)


 本書の中身は中国が「凄まじき歴史」という実態の一語に尽きる。
 中国と日本の歴史の違い、その本質はかくも違う。天と地ほどの隔絶がある。なぜ中国人が根本的に日本人と人生観、審美観、教育観、道徳観、哲学観、宗教観がことごとく異なるか。
その深淵にあるのは、じつは戦争が異なるからであるという。
 人を食べるのは中国文化の特質で、この伝統はいまも続いているが、もともとは戦争が元凶である。
兵糧攻めにあうと籠城側はお互いに殺し合い、死体をたべあった。歴史書に現れた顕著な人食事件だけでも数百例(その典型が本書には網羅されている)。

 翻って日本は、敵であれ味方であれ、戦争がおわるとともに祭る。毛利氏の菩提寺に陶晴堅と大内義隆を一緒に祀ってあるのを見たことがあるが、明治新政府だって、内戦では敵となった西郷の銅像を上野公園に建てた。中国ではあり得ない。
 死者の墓まで暴かれてむち打たれる。
 「玉砕」の日本人は名誉のために切腹する。
 「瓦全(がぜん)」の中国はすぐ投降する。玉砕とか、切腹とかには価値を見いだせないからである。

 こうして本書の主眼は食人という中華文化の本質をするどく剔るところにあるが、その解説で随所に挿入されている歴史解釈ならびに歴史の叙述は、圧倒的である。
 その本の一端を羅列してみよう。

 「日本は外国モデルを柔軟に取り入れることによって成功するが」(中略)「蛮人の真似事は、中国では『師夷』といわれ、夷荻を師として学ぶことを意味する。これは中華思想の伝統に反するだけではなく、祖法にも背く、嫌悪すべき愚行」
 (だが改革開放以来、西側の真似ばかりしてものをつくり輸出しているが、決して模倣していないと主張する)

 「中国の国家戦略が『陸』から『海』に変わったのは、中国三千年史のなかで、初めての戦略大転換である。(中略)中国の陸上資源が殆ど枯渇に近づいてきたので、海洋資源を求め、さらにシーレーン確保のためにも海洋へ進出」
 「秦漢帝国が地方豪族の社会であるのに対して、隋唐帝国は貴族社会(中略)東アジア大陸の夷荻各族を統合して成立した胡漢帝国であり、国際色豊かな世界国家」

 そして隋唐が「食人文化の全盛期だった」(中略)「人肉が市場で公然と市販され、さらに民衆を徴用し、その人肉は食糧にされ、黄巣のように人間屠殺加工場を大量に設け」、そういう役職までつくられていた。攻防戦は食人が常識だった。
 「中国兵は、兵士でありながら匪賊とそう変わらない。だから中国兵は『兵匪』とも賞された。兵と匪の違いは、兵は民衆に対して公然と略奪し、匪は非公然と略奪するということだけだ」
 だから日本軍が入城すると南京でもどこでも市民は歓迎したのである。読んでいて唸る場面夥し。




黄文雄著 『中国の大動乱が日本に押し寄せる』
(徳間書店)

『中国の大動乱が日本に押し寄せる』

 尖閣諸島を突如「あれは中国領だ」と北京が言い出したのは1971年、地下資源の存在が判明したからである。
 それにすぐ追随して「そう、そう。あれは中国領です」と媚中の大合唱をはじめたのが日本の左翼ブンカジン、就中、井上清、羽仁五郎らである。
 ひどい売国奴がいるもんだ。

 黄文雄氏の新刊『中国の大動乱が日本に押し寄せる』(徳間書店)に依れば、すでに「アメリカ在住の中華民国系学者は保釣運動(釣魚台を守る運動)を起こしていた。(中略)井上清教授は、尖閣は歴史的に中国所属であると主張した。氏は当時、外務省から関係史料を手に入れることができなかったので、史料は、殆どが外務省に勤めている教え子から提供(国家機密の窃取?)されたものと説明していた」。
黄氏は当時、日本への留学生で、クルマで友人と京都まで井上の講演を聴きに行ったという。

 なぜこういう事態が起きたかと言えば、「戦後四半世紀が過ぎた1960年代、70年代の日本には、まだ文革礼賛派が残っており、日本革命を目指す左翼勢力は、その影響力は徐々に弱くなりつつなったのは確かであるとしても、井上清教授のような反帝学者」が夥しくマスコミに影響力を保持していたからだった。

 つまり、中国の政府機関も学者の主張も、なんと、この井上清の引用や孫引きによっているのである。
そのうえ、1972年4月18日付けの『毎日新聞』には「文化人声明」なるものが載っており、次のように言う。
「尖閣諸島は日清戦争で日本が強奪したものであり、歴史的に見れば明らかに中国固有の領土である。我々は日本帝国主義の侵略を是認し、その侵略を肯定することは出来ない」。
署名者には羽仁五郎、荒畑寒村、小田切秀雄らが連なり、「日帝の尖閣列島略奪阻止のための会」(仮称)の設立にこぎ着けたという。

 沖縄はどうか?
 黄文雄氏が続ける。
「中華民国政府も中華人民共和国政府も、沖縄が日本に所属することは是認してはいない」。
そういえば台湾の事実上の在日大使館ならびに領事館は、「駐日台北経済文化代表処」と言って、東京、札幌、名古屋、大阪、福岡にオフィスがあるが、沖縄だけは『琉球』と表記している。

 沖縄は「すでに江戸時代には、むしろ島津藩の影響下、支配下にあった。1871年の台湾牡丹社事件後、1874年に日本の台湾出兵があり、そして1879年には『琉球処分」が行われ、清国も沖縄を日本のものと承認した。決して不平等条約によるものではない。また、中華民国政府が、琉球所属について不満があるのは事実だが、もう一方の人民共和国政府はむしろ黙認してきたのだ」った。
 それを「日本の中国侵略は琉球併呑から始まる」という史実無視の政治宣伝の声を、北京が突如大きくしたのは1989年6・4天安門事件後からである。すなわち『民族主義』「愛国主義」「中華振興」の国是がスローガン化してから」というではないか。

 北京は沖縄住民が自決できめよ、と言う。だから北京の代理人が沖縄に暗躍し、左翼が跳梁し、沖縄のマスコミは悉くが反日的で中国寄りの言動をする。他方、北京政府は台湾の所属は十三億人の中国国民が決めると僭越にも豪語して、ダブルスタンダードも著しい。まともにとる必要はない。
 例によって論旨明快、黄節が冴え渡る。


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