辛口コラム

書評その60

ミゲール・デ・ウナムーノ著、執行草舟・監訳、安倍三崎・訳
『ベラスケスのキリスト』
(法政大学出版局)

『ベラスケスのキリスト』

 友人がルーブル美術館へ行って、お目当ての絵画展示室へ行くと、「ない」。係員に聞くと「海外へ貸しだし中」といわれた。それも「トキオ」(東京)だった。
 私的なことで恐縮だが先週モスクワのトレチャコフ美術館へ行くと、お目当ての「見知らぬ女」「桃をもった少女」など、全部があった。幸運だった。トレチャコフ美術館とならぶプーシキン美術館も数十点の作品が現在上野の都立美術館で展示されている。
 また上野西洋美術館では「プラド美術館展覧会」が開催されており(5月27日まで)、ベラスケスの作品が八点含まれている。
 評者(宮崎)もこの機会を見逃せないとばかりに見に行ったが、夥しい鑑賞者の列があって、いまさらながらその人気に驚いた。
 今年は日本とスペインの国交樹立150周年、そしてサラマンカ大学創立800周年であり、本国スペインばかりか、日本でも多彩な行事がある。プラド美術館展覧会は、その一環である。
 サラマンカ大学と言えば、著者のウナムーノが学長をつとめた名門校であり、翻訳者の安倍さんも留学したところだ。今上陛下が皇太子時代に訪問した大学であり、先ごろスペイン大使館が開催した記念イベントにも、天皇皇后両陛下がおでましになった。

 当該「ベラスケスのキリスト」が展示される「プラド美術館」はスペインのマドリッドにある。
 世界中から、この美術館には名作群を見ようと美術愛好家がやってくる。観光客もツアー予定に組み入れられているので、列に並ぶ。周辺にはバスの駐車場もないほど混み合う。じつは評者、三年ほど前にマドリッドに滞在した折、ここにも行った。ところがあまりにも夥しい作品展示なので、肝腎の「ペラスケスのキリスト」を見損なった。
 海外の美術館は、展示室がひろく、そこで座り込んでスケッチしている学生がたくさんいることに気付かれるだろう。写真撮影もフラッシュだけ禁止されているが、自由に取れる。この点で日本と異なる。
 ともかく評者は上野西洋美術館に足を運んだのだが、当該作品は展示リストに入っていなかった。
 しかし本書の扉口絵には当該作品のカラー写真がある。表紙はそのネガフィルムがデザインされている。
 ウナムーノは、この作品を見て霊魂が揺さぶられた。
 ベラスケスが描いた「十字架のキリスト」に感動し、震撼したウナムーノは、七年の歳月を費やして「神曲」「失楽園」と並ぶ宗教詩を書き残した。ヨーロッパのキリスト教の伝統につらなる作品とされるのだが、日本では完訳がこれまでなかった。
 監訳者の執行草舟氏は言う。

「その思想は、近代人が抱えた悲痛そのものである。ウナムーノの叫びは、近代人の雄叫びを彷彿させる。近代が、何であるのか。近代の生命とは何なのか。それは、どこへ行くのか。そこに生きる我々は、いったい何者なのか。我々は、『新しい永遠』を掴むことができるのだろうか。ウナムーノは呻吟を続ける。この思想家は、肉と骨のあたらしい永遠を見つめ続けているに違いない」

 そして解説を書いたホアン・マシア司祭(前上智大学教授)は、こう言う。

「ベラスケスのキリストとウナムーのキリストは生きた隠喩であって、それは死の逸話を描こうとしたり、またそれを語ろうとしている訳ではない。それは人間を真に生かす『生きている者』への賛美を歌っているのだ。この『復活した者』こそ、『肉と骨の人間』の生と死の謎を前にしたウナムーの苦悶の問いに対する、神秘に包まれた答えなのである」(358p)

 残された詩を一行一行、時間を掛けてもう一度読みたいと念じつつ、評者はいま本書を旅行鞄に入れたところである。

waku

表紙

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