辛口コラム

書評その63
世界ではじめて書かれたモンゴル通史
冷戦終結後、自立したモンゴルが歴史書として求めた


宮脇淳子著『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房)

『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』

 いきなり雄渾な筆致で歴史の大スペクタクルが始まる。文章がダイナミックで、些細な出来事は行間に埋め尽くされるのだが、草原の空気のように、じわりと夜露になって、染みだしてくる。
これは世界初のモンゴル通史であり、翻訳版(モンゴル語)も最近完訳された。
 思えばソ連崩壊後、歴史認識が白紙のもとで誕生した新生モンゴルには、自らをかたる歴史教科書がなかった。世界に求めたら、本書があった。日本人学者がモンゴル通史を書いていた。
 それほどの重要度を持つのが本書である。
 最初の四分の一は「チンギス・カーン登場以前」である。遊牧民の烏合離散があり、部族どおしの確執があり、異民族の侵略と戦い、異教徒との戦争もあった。これら前史を要領よくまとめているので頭にはいりやすい。
 ここで重要なのは次の指摘である。
「北アジア遊牧騎馬民をモンゴル系かトルコ系かに分類するという命題には、重大な欠陥がある。第一に、その系統が人種のことを指しているのか、言語のことを指しているのかはっきりしないこと。第二に、歴史的に大いに混血してきた現在のモンゴル民族やトルコ民族を基準にして、かれらより古い時代の遊牧民がどちらの系統に属していたか、どうして決められるだろう」
 そこで、宮脇女史はこう言われる。
「トルコ系民族に分類されている人々は、時期こそ違いがあるが、イスラム教に帰依した人々で、モンゴル系民族に分類される人々とは、十六世紀以後にチベット仏教のなった人々」と目から鱗の定義を提示される。ピタゴラスの定理ならぬ、これが「宮脇淳子の定理」だ。

 評者(宮崎)との共著でも話題になったのは内蒙古自治区にある成吉思汗御陵(漢族は通称「成陵」という)のことである。
 実際にオルダスから南下して、カンバシ新区という世界最悪のゴーストタウンの取材に行った折に、評者もついでに成陵に立ち寄った。
 オルダスからタクシーで2時間ほど南下した草原にあった。まったくの観光スポットとして俗化しており、運転手の漢族に「モンゴル族という異民族が建てたのが元朝であり、なぜ漢族のあんたたちが祀るのか」と聞くと、『おなじ中華民族ですから、問題はない』と答えたので唖然とした記憶がある(宮崎、宮脇共著『本当は異民族がつくった! 虚構国家中国の真実』、ビジネス社を参照)。
 じつはこの成陵。まったくのフェイクである。1956年に中国共産党が勝手に今の場所を選定して「新しい神話」にすぎない。

 実際にチンギス・カーンの墓地は、それならどこにあるのか。
 宮脇女史は以下を叙する。
「葬儀がおわったのち、遺骸は、オノン、ケルレン、トーラ河が源を発する、ケンティ山脈のブルハン・ハルドンの山の一嶺に埋葬された(中略)。墓には盛り土も墓標もなく、埋葬が終わると、多数の馬に踏ませて土を平らにした。やがて樹木が生い茂って、ハーンの遺骸がどの樹木の下に埋葬されているかはわからなくなった」

 雄大でロマンに満ちたモンゴル歴史、いよいよ「モンゴル帝国」の仕組み、チンギス・カーンの世界征服に突入するが、そのダイナミズムは本書を読んでのお楽しみ。
 所々に挟み込まれた『余滴』もまた読書人には楽しめる。
 騎馬民族説なる面妖な学説が一時日本の学会を席巻したことがある。これもあり得ないと宮脇さんはさらりと次の事実を列挙する。

「遊牧をしない騎馬民族はいない」のであって、さらに「遊牧民なら馬の去勢を知らないはずがない」。
 日本の古墳から出土するのは魏晋南北朝時代の北中国のものと同類だが、蹄鉄がない。
 江戸時代の絵画をみても、箱根を越える馬は特殊な草鞋を履いている。
 日本に蹄鉄と去勢の技術が入ったのは明治以降だった。つまり騎馬民族説はまったく成り立たないとさりげない批判の矢が随所に放たれている。
 読書の秋にふさわしい重厚な一冊!

waku

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