辛口コラム

書評その68
三島由紀夫は自己の深部に蟠る衝動や欲動を胡麻化さないで直視した
なぜこの文豪は三十歳をすぎてからスポーツに熱中したのか


佐藤秀明編『三島由紀夫スポーツ論集』
(岩波文庫)

『三島由紀夫スポーツ論集』

 本書はスポーツに絞りこんで、かの文豪が遺した名文を集めるという、文庫新装版である。
 しかし版元の岩波書店と三島由紀夫は、政治的に相容れず、これまでなら連想さえ出来ない組み合わせだった。この種の試みの文庫に三島の業績を編集し直して市場の出すのは、これが三冊目である。
岩波なら決して編集しないであろう政治論文集(例えば『文化防衛論』『反革命宣言』『革命の哲学としての陽明学』などを一冊に収める)もひょっとして考えられないことではない。
潜在的に岩波書店が狙うのは三島全集ではないか、と評者はかねてから邪推してきた。

  さはさりながら、改めて三島のスポーツ論を通読してみると、戯曲や小説や、ほかの文化論にはなかった、三島文学の真髄、その人生への姿勢が浮かび上がってくるのである。
 三島が兵役検査で不合格となるほどの青年時代の虚弱さを、どこで変えたか。三十歳で、習い始めたボディビルからである。
その後は、ボクシング、剣道、空手、合間に乗馬も水泳もやったが、ゴルフには手を染めず、マラソンとも無縁ではあった。
 しかし三島は東京五輪を皮切りにスポーツ観戦が意外なほど好きで、報知新聞などに短文を無数に寄稿してきた。
 「私は病弱な少年時代から、自分が、生、活力、エネルギー、夏の日光、等々から決定的に、あるいは宿命的に隔てられていると思いこんできた。この隔絶感が私の文学的出発になった」 と三島は書き出した。

 しかしスポーツを始めてから「私の人生観も芸術感も変わってきた。(中略)幼少年時代に失ったものを奪回しよう」(昭和31年10月7日、毎日新聞)。
 作家の高橋源一郎は、スポーツ観戦記などを石原慎太郎や大江健三郎のものと比較してみて、「三島だけが『芸術』している」と比喩したが、単なる肉体の物語ではなく、三島はそこに文明論をちりばめたのである。
 編者の佐藤秀明(三島文学館館長)の長い、長い解説が巻末に付いているが、これは秀逸な三島由紀夫論である。

 佐藤教授は解説でこういう。
 「三島由紀夫のスポーツが身体の鍛練や健康を目指しながら、遂に死を希求するところに行ってしまったことである。いつからかスポーツすることが死の準備に変化したのである」
 そしてこうも分析する。
 「三島のスポーツ論には、構えない文明批評があり、希望や喜びもあり、何より小説や戯曲ではあまり見ないユーモアがある。書くときの眼の位置が、普通の人と同じか、やや低いところにあるからだ」(中略)「諧謔は自己の客観視から生まれるが、そこにはスポーツでの周回遅れの気安さも手伝った」
 つまり「三島由紀夫は自己の深部に蟠る衝動や欲動を紛らさずに直視する術に長けている」ゆえに「天与の芸術家」なのである、と佐藤はまとめた。

さて、本書を通読したなかで、評者がもっとも印象深い箇所は次の文章である。

「このまま行けば、男らしさは女性の社会的進出によってますます堕落させられ、ついにはペニスの大小及び機能的良否以外に、男らしさの基準がなくなるのではあるまいか? そして順応主義の時代は、男の精神をますます従順に、ますます古い意味で『女性化』して、こうなると、小説家なんぞは、臍曲がりで個性を固執するという点だけでも、相対的に男らしくなるのではないか?」

 この三島の予言は、いまのLGBT、女性優位、価値観の逆転を目撃すれば、あまりにも的中しすぎている。

waku

表紙

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