辛口コラム

書評その77
「閉ざされた言論空間」がネット空間に拡がった
メディアが報道しない事実にこそ「真実」が宿っている

著・西村幸祐 『報道しない自由』(ワニブックスPLUS新書)

報道しない自由

 日本の新聞発行部数が激減している事実は誰もが知っている。毎年200万部減らしているというから日経クラスの大手メディア一紙が消えたと同じ、深刻な状況にある。  日本新聞協会の21年12月データでは、一般紙97紙の総発行部数は前年比5・5%減となって3065万部。1997年には5376万部だったから、過去四半世紀に2300万部も減らしたことになる。
コスト割れして、夕刊をやめた新聞も多い。
 新聞を読まなくなった最大の理由は、その偏向報道に飽き飽きしたからではない。SNSの発達で、メディアの在り方が激変したからである。スマホでニュースを見ている若者が圧倒的である。通勤電車の最近の風景をみるとすぐに了解できる。十年前は通勤時間の読書は文庫本か日本経済新聞だった。いま乗客の九割はスマホである。車中で『文藝春秋』を読んでいる風景は無くなった。スマホを除くと、驚くなかれ男性若者の大半は漫画かゲームである。
 わかりやすく言えば、2016年のトランプ勝利はツィッターが造りだした。大手メディアは、こぞってヒラリー・クリントンを支援し、かつ当選を断定していた。結果はひっくり返るほど劇的なことだったが、SNSが偏向メディアとは異なる分析や報道、主張をしていたからだ。
 真実を求める少数派が、出鱈目報道の多数派、大手メディアに勝ったのだ。
 メディアが伝えなかった真実をSNSが報じることにより、マスコミの体質、すなわち都合の悪いニュースは報道しないという、かれらの身勝手さが、情報の受け手に晒されたからである。
 たしかに「マスメディア」とは発行部数が多い。けれども情報受け手がマスであっても、情報の送り手は少数なのである。この「少数派」の偏見だけが伝達されてきたのが、昨日のマスコミだった。
 某新聞の意向に沿う集会なら五人とか二十人の集会でも大きく報じるのに、意向とは反対の集会はたとえ数万人があつまっても報道しない。黙殺するのだ。それが「報道しない自由」という大手メディアの「特権」だった。
 その特権をSNSがぶち壊したとも言える。メディアの主張を誰もが疑い始めたからだ。
 この情報伝達の在り方に衝撃を受けたのは、たとえば日本共産党だった。30万のネット部隊を組織して、別の世論をSNSを利用して拡散し、つまりはフェイクニュースを撒き散らしはじめる。

 他方、サーバーは『不都合な真実』を報じるフェイスブック、ツィッター、インスタグラム、ブログ、メルマガを一方的な『検閲』で削除しはじめる。
 西村氏は、この新しい傾向に警告をならすのである。
 ユーチューブも勝手に放送を止めるという『暴挙』を繰り返し、真実が伝わることを妨害しはじめた。典型がトランプのSNSをすべてシャットダウンして言論を封じ込めたことである。
歴史の真実は埋もれたままにして、修正主義学者の主張は報じない。ワクチンの不都合な事実は黙殺、無視し、あるいはワクチンへの疑問を投げかけると、アカウントが閉じられたりする。

本書で西村氏は、幾多の事例をならべて真実をつぎつぎと語るが、メディアの意図的な用語にも作為が籠められていること、とりわけメディアがねじ曲げた皇室報道の用語について、正しい解釈を指摘している。
上皇陛下の御譲位発言を、なんと「生前退位」などという造語で誤魔化したばかりか、国会開会の詔をお読みになる天皇陛下を「天皇陛下をお迎えして国会が開かれる」と逆さまに報じている。
国会は天皇陛下が「招集」するのであり、主客転倒が平然となされている。
以下の間違いがある。
「践祖」は「即位」となった。「御名」は「天皇のお名前」となり、「御幸」は「おでかけ」に、聖上は「天皇」と、まさにGHQの命令通りの悪しき慣行がさらに悪化しているのである。
ついには天皇家の出来事を、まるで芸能界の出来事のように報じた女性週刊誌を超えて、多くのメディアは軽妙に、日本の伝統を破壊する工作を展開するかのように報じるようになった。
 これでよいのか?
 本書は2017年にイーストプレスから刊行されたオリジナル版に加筆・修正を加えた新版である

waku

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