辛口コラム

書評その80
ユダヤ人を救った動きを影でささえた将軍がいた
直筆の回想録を再検証、復刻新版は日本人必読

著・樋口季一郎 『陸軍中将 樋口季一郎回想録』(啓文社書房)

陸軍中将 樋口季一郎回想録

 歴史にのこる二つの偉業がある。
 第一はナチスの魔手から逃れてきたユダヤ人を樋口季一郎の主導で、極寒の満州で救済したこと。これは「樋口ルート」と呼ばれた。
樋口は外国語学校でロシア語を専攻し、またポーランド駐在武官としてウクライナ、ドイツなどを視察している。
 樋口はシベリアにあって諜報活動にも従事していたため、ロシア人、ユダヤ人を観察していた。

 彼はこう書き残している。

 「ロシア人は本質的にユダヤ人を好まぬ。これを軽蔑する特種の感情をもっていた。彼らユダヤ人は、一方においてユダヤ人を含むロシア過激派を蛇蝎視するかたわら、一般ロシア人に対する反感を抱いている。ところが日本人は、昔からユダヤ人に対する特別の交渉ももたず、ユダヤ民族を同胞として待遇せざるべからざる何らの歴史をもたない関係からただ彼らを『外国人』として平等に待遇したのみでなく、金力に富む彼らを一般外国人の上位に置いて考えたものである。否、特別にこのような意識をもった訳ではないにしても結果的にそのような待遇を与えたのであった」(106p)。

 第二の樋口の偉業はポツダム宣言受諾後に北海道を狙って侵攻をつづけたソ連軍を食い止めたことだ。

 この将軍には篤い日本人の熱血と人道主義があった。あの北海道防衛戦がなければ、ソ連は千島どころか北海道も占領していただろう。
 樋口は大東亜戦争中の1942年8月1日、札幌に司令部を置く北部軍(のち北方軍・第5方面軍と改称)司令官として北東太平洋陸軍作戦を指揮した。
 1943年5月、アッツ島守備隊は玉砕した。
しかしキスカ島撤退は成功した。キスカ島撤退作戦に際しては中央の決裁を仰がず樋口の一存で撤退作戦を遂行した。

日本の降伏直前、1945年8月10日、ソ連が対日参戦し、樋口は占守島、南樺太におけるソ連侵攻軍への抗戦を指揮し、成功させた。

 スターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名したが「世界ユダヤ人会議」が、世界中のユダヤ人組織を動員しロビー活動を展開した。

 連合国軍最高司令官マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護したのだった。
樋口は戦後、宮崎県小林、神奈川県大磯、大阪豊中、そして長男の転居に伴い、最後は東京に暮らしながら、戦友たちの慰霊をつづけ、昭和四十五年没。
享年82歳だった。

waku

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