辛口コラム

書評その81
いまの日本で古典愛好家はウルトラ・マイナー
三島由紀夫は古典の現代語訳に絶対反対を唱えていた

著・前田雅之 『古典と日本人〜「古典的公共圏」の栄光と没落』(光文社新書)

古典と日本人〜「古典的公共圏」の栄光と没落

 現代日本語は、本当に日本語なのか? 軽薄で横文字が多すぎないか? 戦後教育によって国語教育現場は荒れ果てた。源氏物語も土佐日記も、徒然草さえも現代語で読む。もちろん古事記も。
 古典愛好家はウルトラ・マイナーとなり、大學で古典を教える著者の前田氏からみれば、「メジャーの人々は国語科目で大学入試に出題されるから、やむなく学んでいるに過ぎない」のだ。
 教育現場からの憂いである。
 評者(宮崎)の世代は、古文と漢文の時間があり、ほかの科目はともかくも、好きな時間だったし、源氏物語は参考書も多く、二回ほど通読した。とろこが大學では国語の時間も無かった。
 三島由紀夫は王朝文学の現代版を綴った。初期の作品群、たとえば『軽皇子と衣通姫』や、『花山院』など、『春の雪』はまさに『源氏物語』の再現のような味わいがある。
 三島は古典の現代語訳には反対だった。それは、現代語訳を読むだけでは、古文原文のもつ感性、感覚、リズム、そして、現代文とは異なる文章の組み立てられ方が理解できないのである。これらは受け継ぐべき伝統であると三島は考えていた」(21p)

 古典を捨てた日本の現代人はアイデンティティの基本を失った。
 靖国神社へ参拝にはいかないが、ハロウィンに熱中し、カラオケでは演歌も軍歌も歌われず、わけのわからない喧しい曲が流行し、いつしかテレビや新聞の広告も日本語が外国語に切り替わり社名が英悟の企業まで登場した。
 井上毅と言えば明治憲法、皇室典範、教育勅語の起草者である。その井上が1893年に文部大臣となったとき『国語改革論』を提唱した。

「古文古語固より尊重すべし。但し専門として尊重すべし。また或る場合に限り一種美術として尊重すべし。之を一般の国民教育として用いるべからずなり」

 つまり古文古語は美術骨董品のように鑑賞すべきだが、教育に用いてはいけないと、過去の実績を自ら打ち消すようなことを言っているのである。
 著者の前田教授は言う。
「近代=西欧と捉えていた当時にあって、古典の文章は、およそ『西欧的論理』=近代的論理に乗らない旧世代の代物」とする強迫観念があったからだ。
 それ以前に、国学熱狂派は維新後、くるりと文明開化派となり、尊皇攘夷を叫んだ武士達が西洋の服をきて鹿鳴館で踊った。まさに伝統主義は「神風連の乱」と「西南戦争」で滅びたのではないか。
 前田氏はきつい一言を放つ。「こうした古典の王国を破壊したのが『維新』、そして『文明開化』と命名された近代社会に他ならない」(231p)

 およそ860年前、藤原レジュームが黄昏れだし、平家が天下をとる保元・平治の乱(1156〜1159)も、南北朝の動乱も、応仁の乱も「長かった戦乱にもかかわらず、和歌古典は繁栄した」と前田氏は指摘する。
「応仁の乱は、破壊の限りを尽くしたが、他方、それが起爆剤となり、古典復興に繋がったのである。否、古典的公共圏にとって、破壊行為は決して和歌古典を抹殺したりはしない。逆に古典を復興させる方へ向かうのである」(174p)。
本書のキーワード「古典公共圏」は著者独特の定義である。

 江戸時代に儒学が徳川の官学となると従来の道徳観はおおきく変化する。
 水戸光圀の和学ブレーンとなった安藤為章は『紫家七論』を書いて、「『源氏物語』の光源氏と藤壺の密通、さらに不義の子を天皇に即位させたことを初めて問題にし」た。
 宣長は『紫文要領』で光源氏と藤壺の密通を儒教的に批判する見解に対して「又あひがたく人のゆるさぬ事のわりなき中は、ことの深い思ひいりて哀の深きものなり」と批判した。
 この箇所を重視する前田氏は、
「不倫、しかも義母との不倫という世間的かつ儒教的に見れば断固許されない行為においてこそ『もののあはれ』が至高の状態にあるとして、心から肯定したのであった。(中略)もののあはれの窮極を描くために、この恋を記したと(宣長は)解釈したのである」(218p)

 こうして古典の本質をつく議論が本書で展開されていて、古典・伝統重視の文学論であるが、同時に文化防衛論である。

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