辛口コラム
書評その82
「生命が大事で魂は死んでも良いのか」。三島由紀夫は檄文で叫んだ
歴史とは民族の魂を謳う詩である

著・執行草舟 『草舟言行録2 人間の運命』(実業の日本社)

草舟言行録2 人間の運命

 葉隠的な運命論の決定版である。「武士とは死ぬることと見つけたり」とは人生における運命の悟りであって、切腹のすすめではない。戦後は葉隠をあまりにも短絡的に解釈しすぎた。  つねに執行氏の口をついて出てくるのは「葉隠」と「忍ぶ恋」であり、三島由紀夫の『美しき星』であり、そしてドンキホーテ、ヤマトタケル、神武天皇、聖徳太子と定番が続くのだが、しかも内容は前作を殆ど変わらないことを唱えているにも拘わらず、新作ごとに感動するのはなぜなのか?
 機械には喜怒哀楽がない。涙を流すことがない。しかし魂は人の心を揺さぶる。文学は天地(あまつち)を動かすと藤原定家が言った。
 AIの時代、鉄腕アトムの夢の世界がまもなく現実になろうとしている時代にこそ「精神世界」の深さを考察するべきではないか。つまりAI時代にこそ思想と哲学は発展しなければならない。
でないと、本当に人類は滅亡へ向かうしかない。

 昭和四十九年に小林秀雄は国民文化研究会が毎年有為の学生や若者を集めての合宿勉強会に講演におもむき、「信じることと知ること」と題して次のように言われた
「僕らがいきてゆくための智恵というものは、どれだけ進歩していますか。たとえば論語以上の知性が現代人にありますか。これは疑問です。僕らの行動の上における、実生活上の便利さは科学が人間の精神を非常に狭い道に、抽象的な道に導いたおかげだと言えるでしょう。そういうことを諸君はいつも気をつけていなければいけないのです(『国民同胞』、令和五年七月十日号から重引)。

 AIが人間の知恵を越えると、人類はAIロボットに従う奴隷になるのだ。
 執行氏はこう説かれる。
 ルネッサンス以後、「ヒューマニズムが始まってから、人間は確実に神から離れ始めた。それでも神から離れる葛藤があった。この葛藤は、十九世紀までつづきます。また、その葛藤がヨーロッパ人の偉大な文明を生み出す原動力になりました。」
「これは神から離れようとするヒューマニズムと、それをまだ全面的には受け入れられない思想の壮絶な衝突のエネルギーなのです。つまり呻吟です。だから良いとか悪いとかではない。呻吟して行くことこそが、本来的な人間を生み出すことになる」
AIには精神の呻吟が出来ない。

 この思想状況に英国の詩人ジョ・ンダンが言い放つ。
「死よ、おまえは死ぬのだ」!
 則ち『死というものは神がいなければ出来ない。人間の死は神と繋がっている。宇宙と一体化する死が人間の死である』。しかしヒューマニズムが発展し、人間が神から離れたがゆえに「人間の死というものが死ぬのだ」
 そして二十一世紀。生命は地球より重くなって、防衛方針も「国民の生命と財産を守る」だけとなった。防衛白書のどこにも「わが国の伝統・文化、そして日本の精神を守る」とは書かれていない。生命が大事で魂は死んでも良いのかと三島由紀夫は最後の檄文で叫んだのだが、そのことさえ現代人は気にも留めていない。
 だから執行氏は次の慨嘆の言葉を続ける。
「ただ肉体が朽ちただけの動物の死です。多くの死が人間の死ではなくなってしまった」、 「葉隠の精神とは「死ぬ日まで体当たりをして未完で挫折して死ねばよい」。それが『生命燃焼』であると執行氏は力説する。
 真の道徳とは『魂の永久革命だ』とする氏はこうも言われる。
「自己の運命に内在する美しさは各民族ともそれぞれに歴史上の共感する人物の魂にこそ見いだせる」
「だから歴史は詩」である。
 一行一行の言葉に活力と真実と詩がある。

waku

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