辛口コラム

書評その98
この大胆な仮説を「奇想天外、抱腹絶倒」ですまされるのか?
田中史学、前人未踏の「古代史以前の神話」の謎に斬り込んだ

田中英道 著 『浦島伝説とユダヤ』 ワニブックス

『浦島伝説とユダヤ』

 ともかく田中英道氏の古代史は発想が大胆にしてユニーク、飛び抜けて独創的なのである。『アカデミズム』の古代史学界はビックリ、古代史家が誰一人まともに取り上げようとしないのは彼らのビナインネグレクトだろう。
 鹿島神宮は出雲を制圧したタケミカツジを祀るが、鹿島がなぜ『島』なのか? 古代には海に囲まれた孤島だったのだ。ここからニギハヤヒも神武天皇も軍船で出航し、ヤマトへ、あるいは日向へ向かった。「神武東征」ではなく「西征」だった。常陸は日高見国だったという。
 鹿島神宮と一対をなす香取神社は直線距離で10キロ、印旛沼が北に開ける。オオクニヌシから出雲をタケミカツジとともに割譲させた英雄フツヌシを祀るが、やはり古代には海で囲まれていた。
 海? そうだ、「海の民」(海幸彦)は南洋から舟でやってきた。そのなかにユダヤ人が混ざっていた。
 ユダヤ人の渡来は五次にわたり、弓月、秦氏らが混ざり景教も日本に入った。蘇我氏は景教を信じたという。
 こうした前提から、古代史以前の神話時代の謎解きが始められる。
 鹿島と香取の両神宮には二回づつ評者(宮崎)も行ったことがあるが、東京駅から直通バスがあるほどに参詣客は多い。
 本書の巻頭カラーグラビアは各地の由緒ある古墳、神社、伝統的な場所、祭りの風景や関連の絵図などが8ページ。合計41葉の写真で構成されている。本文中にもモノクロの写真が多く使われているのは、説明をヴィジュアルにするためだ。
 海幸彦、山幸彦は記紀では釣り針をめぐった兄弟げんか、山幸彦が竜宮城へ連れて行かれ、帰ってから玉手箱を開けたら、白髪の老人となったというおとぎ話は小学生でも知っている。
 田中氏は最初に言う。
「山幸彦とは少なくとも縄文以来日本列島に住み続けてきた日高見国系、高天原系の一族の象徴であり、海幸彦とは海を渡ってやってきた渡来ユダヤ人の人々の象徴である」
 そのうえで、『伊弉諾がスサノオに海を司れと命じたことに関係する』と論を広げる。つまり「スサノオは、日本の古代史における渡来ユダヤ人の存在を考えるうえで、見逃してはいけない神の一柱である」(34p)
 『スサノオは西方に由来を持つ外来の神であり、他の日本の神とは違う』(37p)
 なぜなら「スサノオ」はヘブライ語で、「スサ」と「ノハァ」の二つの言葉から成り立っている」からだ。
 スサはカモメで「はやい」という意味がある、「とても素早いというニュアンスを含む」し、「ノハァ」は「新しい土地を得る」「安住の地を相続する」という意味があるとする(65p)
 古代戦士の髪型はミズラである。これは外来のヘアスタイルで、神功皇后は新羅征伐のおり男装し、髪型をミズラに編んだ。
 西暦七世紀、国風を重んじた天武天皇はミズラを廃止した。天武天皇は三十年にわたって遣唐使も中断した。
 以後、日本からミズラは消え、江戸時代には丁髷となった。
 ミズラのヘアスタイルは中国にも韓国にもない。正にユダヤの髪型で、たとえば中央アジアのトルファンのベゼクリク石窟寺院の壁画などにミズラが描かれており、田中氏はソグド人と推察できるとする。
 関連して沖縄が琉球と喚ばれたのは何故か?
 那覇(ナハ)はヘブライ語で「安息」の意味があり、八重山諸島の「ヤエ」はヘブライ語で「神」。つまり沖縄文化は古代ユダヤとの共通性が多く、琉球が竜宮だったのだと田中氏は唱える。
 評者は田中先生の一連の歴史解釈は既存の歴史学界を震撼させる爆弾を籠めた仮説の提言だと考えており、眉唾に聞き流す論考だとは思っていない。
 というわけで、先日、懸案のユダヤ埴輪が大量に発掘され遺跡を見学してきた。成田空港に近い芝山町にあることは数年前から知っていたが、たいそうアクセスが悪いので、なかなかいけなかった。渡辺惣樹さんがドライブに誘ってくれたのである。
「芝山町立『芝山古墳・はにわ博物館』(千葉県山武郡芝山町芝山438-1)は立派な建物で、敷地は公園。前庭は大きな埴輪を重ねてオブジェ。なんだかワンダーランドへ迷い込んだ感じである。
 展示は『姫塚』と『殿塚』から出土した夥しい埴輪から厳選した傑作ばかりで、とくに姫塚から出土した武人(これがユダヤ人に顔かたち、帽子、ミズラが似ている)埴輪の集合、箱を乗せる女、胡座の人物に膝まずく男、琴を弾く人などがある。また殿塚から出土した埴輪には耳輪の女、牛猪、耳の大きな男、太刀、家等の埴輪が掘り出された。
 ただし、この博物館の展示説明にユダヤ人云々はひとことも書かれていない。
 発掘は昭和31年から早稲田大学の滝口宏教授の指導で進められ、『戦後最高の遺跡の発見』と言われた。あ、評者も、大學でこの滝口教授の講義をうけたことを思い出した。
 実に夥しい武人集団の埴輪は一瞥してまるでユダヤ人である。
 ミズラ、そしてユダヤ鼻、埴輪で色を表現出来ないが、恐らく青い眼だったのであろう。秦の始皇帝も孔子様も今日の科学と考古学で、漢族ではなかったことが証明されている。
 埴輪博物館の見学はきわめて有意義だった。本書を、その写真を横に見ながら読んだので迫力満点であった。

waku

表紙

2000-2024 MIYAZAKI MASAHIRO All Rights Reserved