最近の問題作

宮崎正弘の最近の論文から
最近書いた記事、論文のなかでも注目を集めたものを紹介します。

中国政治を壟断する「太子党」



 07年10月22日に中国共産党第17期中央委員会第1回総会が開かれ、新しい中央政治局委員を選び、その中からトップの常務委員九名を選出した。
 番狂わせが幾つかあった。
 第一に直前の党大会で胡錦濤は自らの権力を確立するために大量の若手を登用するとした予測がまったくはずれ、化石のような江沢民がしゃあしゃあと雛壇に居座った。この超法規的横暴に胡錦濤は何も抵抗出来なかった。
 胡錦濤はチベット書記から二段階特進で、常務委員会入りしたが、背後にあったのはとう子平で、江沢民の次を江沢民に指名させず、十年後の指導者を早々と指名し安定を選んだ。だからキングメーカーになれなかった江沢民は胡錦濤をがたがたと揺さぶり、依然として院政を効果的に運用しようとした。
 第二に共産党高級幹部の子弟どもが大量に抜擢を受けた。胡錦濤直系の第五世代からの抜擢が少なく、むしろ失脚した筈だった「上海派」と「太子党」からのシフトが目立ったことはある意味で失望を深くした。世界のチャイナウォッチャーらはがっかりした。
 以下の布陣では特権階級がこれからも富を寡占し、人民を奴隷の如く支配し、改革は進まず、腐敗が続くことになるだろう。
 中央政治局常務委員には胡錦涛、呉邦国、温家宝、賈慶林、李長春、習近平、李克強、賀国強、周永康(序列順)を選んだ。新人は四人、過半数が居残った。
 これを色分けすると、胡錦濤派といえるのは温家宝と李克強の三人。呉、賈、李は上海派、そして周、賀は公安系で江沢民の影響がつよく周近平は両方にまたがる。
 中央政治局委員には王剛、王楽泉、王兆国、王岐山、回良玉、劉淇、劉雲山、劉延東(女性)、李源潮、汪洋、張高麗、張徳江、兪正声、徐才厚、郭伯雄、薄熙来が選ばれた。
 中央軍事委員会主席は胡錦濤、副主席が郭伯雄、徐才厚。委員には梁光烈、陳炳徳、李継耐、廖錫竜、常万全、靖志遠、呉勝利、許其亮が選ばれた。中央規律検査委員会書記には賀国強が就任した。
 これを一瞥しただけでも「太子党」の大量進出が明瞭で、胡錦濤系の「共青団」出身の少なさと対照的である。
 やっぱり修羅場をくぐり抜けてきた革命元勲の子弟らが、ダラ幹とはいえ、いまも共産党内では大きな面をしている実態が浮かぶ。
 しかし「太子党」には多くの父親の来歴による派閥があり、上海閥寄りの太子党が多いのが特徴的である。
 引き続き移動による玉突き人事では、政治局常務委員に昇格した習近平の後任の上海市党委書記に兪正声・湖北省党委書記が選ばれ「おっと、ビックリ」である。
 兪正声はこれまた典型的「太子党」の一員で、父親は初代天津市長を務めた兪啓威。かれは紹興産まれで、この点では周恩来、魯迅とおなじ紹興人脈。愈は02年から政治局員。第十七回党大会直前まで常務委員への昇格が高い可能性で噂されていた。
 愈正声はハルビン軍事工程学院卒業後、電子工業省や山東省の工場勤務の経験があり、煙台市、および青島市党委書記、中央政府の建設相を勤め上げ、2001年から湖北省党委書記に昇格していた。
 湖北省といえば省都は武漢。北は河南省、東は安徽省、南東部と南部は江西省と湖南省、西に重慶市、北西部は陝西省と隣接しており、加えて長江、漢江の二大水系にまたがり、水利にはめぐまれ、経済発展が著しい。
 重慶特別市の書記だった汪洋は沿岸部で経済発展がもっとも秀逸な広東省書記に栄転し、空席を商務大臣の薄熙来が埋めることも決まった。汪は胡錦濤派である。
薄熙来は薄一波の息子で知日派ゆえに遠隔地・重慶への赴任は嫌々だった。
 こうして各省のトップ人事の玉突きは派閥均衡のもとに進んだが巨大行政区、経済特区をかかえて予算が潤沢なところに実力者が配置されるがちな傾向が露骨になった。
 「団派」(共青団)の、もうひとりの出世頭で李克強のライバルは李源潮(江蘇省書記)だが、予測通りに政治局員に滑り込み、しかも李源潮は「中央組織部長」に就任した。これは胡錦濤の権力地盤強化、共青団の躍進などと分析するメディアが多いが、その見方には一種の危険がともなう。
 李源潮はたしかに李克強と並んで「明日の指導者」と待望された時期があり、胡の子飼いのライバル二人、次期総書記レースの主人公に擬せられた。十二月に訪中した小沢民主党訪問団450人の世話をしたのは、この李源潮である。
 李源潮は共青団のエリートだが、しかしこれまた「太子党」なのだ。
 上海復旦大学数学科卒、父親は李干成。文革前の上海副市長。だから李源潮は共産党幹部高層に青年時代から顔を売ってきた。
 李源潮が江蘇省書記時代、太湖の青藻汚染が世界に喧伝された。美しい湖、観光資源がすっかり汚染され、異臭を放ち、誰も寄りつかなくなった。しかし李源潮はこの責任をまったく追及されず、安穏に出世をはかれたのも党高官に知り合いが多く、お互いにかばい合う「太子党」という側面が強いからだ。
 たしかに共青団人脈にも強く、とくに李源潮は胡耀邦、胡馨立らの考え方(改革派)に近い。だから「組織部長」就任は上海派からも太子党からも強い反発はなく、いわば共青団人事というより三派連立(団派、上海派、太子党)のための妥協の産物だと考えられる。
 新公安部長には江沢民派・黄菊系の孟建柱(現江西省党委員会書記)が就任した。これが意味するところは上海派の汚職捜査はこれでお終い、前書記だった陳良宇という犠牲の山羊一匹で幕引き。子分の逮捕に苦虫をかみつぶしていた江沢民が、なにはともかく公安と司法関係のボスを自派で抑えて一安心という構造となったのである。
 孟建柱は江蘇省出身で60歳。91年に上海に赴任、93年副市長を経て、2001年から江西省書記についた。上海時代に薫陶をうけたのが江沢民の子分だった黄菊(上海市長から政治局常務委員。07年六月に膵臓癌で死去)だった。
 犯罪、とくに汚職、腐敗取締の元締めが周永康からこの孟建柱になる。こうなると上海派の汚職摘発は一体、なんだったのか。
 公安、規律、法務を「上海派」がすべて掌握したため、税金泥棒、腐敗の権化らが、「裁判官」と「目明かし」も兼ねるわけだ。なんという不条理!
 まさに現在の共産党王朝は歴代王朝の腐敗に酷似してきた。もし日本のメディアが胡錦濤を「改革派」とか「中国のゴルバチョフ」を期待しているとすれば基本的認識のレベルで的はずれであり、旧上海派(江沢民残党)と太子党に挟まれて、党大会は胡錦濤にとっては人事戦争における「大敗」だったのである。

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