魂は復活するものだが、それは霊魂を超えた思想、理想の復権でもあり、日本の現状を見ていると保守復活の流れが日々濃厚となってきている。まさに大河ドラマになりにくい吉田松陰が登場するという画期的な出来事と直截に結びつくのではないか。
教育家として、求道者としての松陰像は確定されたが、他方で「思想家」としての松陰はまだ誤解され続けている。あまつさえ、吉田松陰が「兵学者」であったことは綺麗さっぱり現代日本から消えているのだ。
孫子を究明し戦略的発想からの情報論として『孫子評註』を著した、その松陰の軍学者の側面を深く追求した吉田松陰論は殆ど存在しない。
筆者は戦国武将の伝記なども時折執筆しているので孫子の研究を以前から続けているが、吉田松陰はさすがに山鹿流の兵法を極めているだけに地勢編は常識であり、風林火山などの戦術論は参考程度であるとして重きを置かず、孫子の要諦は「用間編」(スパイ、インテリジェンス戦略)にあると見抜いた事実こそ最も重視するべきと考えている。
「蓋し孫子の本意は『彼を知り己を知る』に在り。己を知るには篇々これを詳らかにす。彼を知るの秘訣は用間にあり」(『孫子評註』)
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