地下鉄に長い長い列
北京と上海を定点観測のため、急ぎ足で回った。十年ぶりの軍事パレード前夜の表情も見ておきたかった。北京空港には昼頃に到着、日曜だったのでタクシーで市内までたった四十分で着いた。 警戒が厳しく地下鉄の駅ではX線の荷物検査をしている。長蛇の列ができている。 「ちょっと実験してみましょうか?」と同行した編集者に告げて筆者は北京の地下鉄車内の真ん中で意図的に疲れた仕草をした。しかし誰も席を譲ってくれなかった。 僅か一年前、北京五輪を前に市民は争うように席を譲ってくれた。当方が戸惑うほどの、もったいつけた作法はじつに嘘くさく席に着いても居心地が悪かった。文明国キャンペーンはあまりにも作為的だった。 「地下鉄に乗っているのは若い人ばかりでしょ?」と北京在住のベテラン氏が聞くので、なにか特別の理由でも?と尋ね直すと「テロを警戒して貧乏人いがいは乗らない。げんにうちの会社でも国慶節がおわるまで地下鉄通勤を禁止しました。遅刻には目をつむるので車で来い、と」。 とてつもない厳戒ぶりは何を恐れているのだろう? 北京駅ばかりか繁華街にも機関銃で武装した軍隊が目を光らせ、歩いていても落ち着かない。町が綺麗に輝いた五輪が終わり、表通りは別として裏道はゴミが吹きだまり、ビルも排気ガスで霞んで見える。ショッピング街も人の混雑は変わらないが実際の買い物客が少ない。 中央電視台の新築ビルは花火で全焼したが、焼けただれた外観をテントで覆い隠すわけでもなくそのままである。あのビルは男女のセックス・シンボルをデザインしたといわれ、卑猥なイメージがつきまとう。だから全焼したのは天罰というブログも登場した(フランス人設計者が自分のブログにそう書いたため中国のネットでは非難の合唱がおきた)。 五輪開会式で世界の人々に強い印象を残した鳥の巣=メイン・スタジアムの隣に五輪選手村用に建てたホテルは七つ星、こちらの方は隅田川の朝日ビール本社のように高層部がうんこの形をしている。満員の気配なし。 北京どころが上海市内でも一流ホテルは概して空いている。観光客が減っているのか、と誤解しそうになるが飛行機は満員、つまり客の方がビジネスライクにホテルを選別し、中国人のほうが豪勢になっている。 北京大学構内へ”突入”した。 同行した評論家の石平氏が二十数年前に学んだキャンパスへは学生証か、職員証がないと入れない。そこでタクシーで乗り付けVIPの顔をして「突入」したのである。筆者は北京大学は二回目だが、民主化運動の震源地となった図書館前の芝生やグループ別に討論会がもたれた池などをゆっくりと撮影、隅っこにはエドガー・スノーの墓もある。スノーは毛沢東を礼賛した著名ジャーナリストだったが、晩年は毛沢東独裁に批判的だった。
ともかく北京の警戒ぶりは異常ともいうべきで、防犯カメラ40万台。それでも連日テロ事件がおきる。パトカーが走り回る。公共バスが放火され、前門の大柵(北京の浅草)では通り摩殺人事件。対応に地下鉄を突然とめたり(午後四時から夜中まで市民は車中の足止め)、地下鉄のサリン事件を想定した訓練も行われた。こういう話、日本では一切報道がない。 そうした緊張状況だから夕方はタクシーの奪い合い(80年代後半の日本の赤坂、六本木風景を彷彿)。ちょっとしたレストランは予約客で満員。北京ダックで有名な「全聚徳」はあちこちに支店をだして味が落ちたといわれるのにやっぱり満員だ。 クレヨンしんちゃんの作者転落死の報道が中国の新聞でも鳩山vs胡錦涛会談に匹敵するほどの紙面が割かれ、町を歩けば日本料理の増えていること! 数日間、観察に明け暮れて次のことに気がつく。 一、中華伝統に基づいたビル、建物はいまや紫禁城だけ。中国全土が普請中だが宇宙船のようなオペラハウス、男女のセックスシンボルをあらわした中央電視台新築ビル。上海森ビルもさりながら隣の金茂ビルはエンパイア・ステート・ビル風。中華文明とか、愛国とか言っている傍らで建物、高層ビルの非中華化が爆発的に進んでいる。伝統的なものに背を向けた奇抜な設計ビルが林立している。 二、巷の風俗はさらに先鋭化。町で「マッサージ」のチラシ配りはいまや常識。一部のサウナとか足マッサージは売春窟を兼ねるところが多いと聞く。女子大生は競って財閥の妾を志願。カラオケは美女が勢揃いで、日本人に限らずともかく外国人のパトロン捜し。愛国なんて誰も語らない。値段は日本より高くなった。日本のマスコミは風俗から見た虚像としての「愛国」の実態を伝えない。 三、書店を覗くと金持ち列伝とか旅の本ブームは去って通貨戦争、金本位制、人民元が日本円を駆逐しドルに代替するなどといった通貨戦争がテーマの本がベストセラー。中国経済大国論ばかりだが、これは前にレポートした広州と北京、上海も同じだ。 四、人々のこころが急速にドライになっている。非人情的事件は頻発。入水自殺を目撃している人たちは誰も助けようとはせず、競って写メールで写真を取り合い、新聞に幾らで売れるかを話し合う。 80歳の行き倒れ老人は誰からも構われず、他方では四川省出身の美女と結婚した草食系の男は料理を習いに三ヶ月、わざわざ四川省の料理教室へ「留学」したそうな。そういうトピックが新聞に溢れていた。
このところ、中国人の自信の誇示は目を覆いたくなるほど強烈である。 たとえば中国はGDPで来年早々に日本を抜くだろうといわれる。香港、マカオを足すとすでに日本のGDPを凌駕している。 核ミサイルを多数保有し宇宙衛星をあげ、軍艦の数を誇る中国人は、GDPで日本を抜くことがたまらなく嬉しく、名状しがたい感情が吹き出すから「日本なんか相手にしない」とする強がりの姿勢がでる。(日本から技術とカネがこなくなったら困るんじゃないのですか?)。 たとえば上海の地下鉄営業距離は上海万博前に345キロを越え、東京のそれ(304・1キロ)を年内に抜き去る。ロンドン、NYにつぎ上海が地下鉄の影響距離レースでも世界三位になる。 ことほど左様に中国人の頭の中は日本を越えたうれしさに充ち満ち、コンプレックスの裏返しとしても、日本を重くは扱いたくないという心理が輻輳している。 米国の獅子吼する「ソフトパワー」とやらに刺激を受けて中国が娯楽・文化産業を、自らの手で育成拡大してゆく方針が決定された。この動きが心理のゆとりを象徴しているだろう。 文化の領域で企業を育成するために国家予算をメディア産業に振り分け、現在の共産党の政治宣伝一色のメディア規制も一部緩和する動きがある。 しかし海賊版と日本のアニメ猿まねしか芸のなかった中国の娯楽産業にそんな実力があるかなと思う。
香港につづいて上海にもディズニーランドを開園するが、北京郊外・居庸関の周辺に建設していた海賊版遊園地は工事を中断、放置されている。遠くからみると巨大なラブホテル群にも見えた。 香港のディズニーランドが予想外に不振なのは規模が小さくてアトラクションがすくなく、それでいて東京ディズニーランド並みの料金をふんだくるからである。三年前にわざわざ取材に行ったが客足も疎らで、えっと衝撃を受けた。 中国最大のメディア企業は、「上海メディア集団」というが、この会社が目標とするのは米国のディズニーランド、ニューズコープ、バイアコム、そしてワーナーである。いずれもが新しいメディアと融合し、映画、娯楽、ニュース、音楽、スポーツ番組でつぎつぎとヒットを飛ばしたが、言論の自由がなく、言論が統率され、操作され、透明性がない国で?と疑念の方が強くなる。 ソフトパワーの領域に政策的拡大がみられるのは、北京の孔子廟に行ったときにまざまざと実感できた。 二年前に行った折は孔子廟と隣の国子監とは門が別々だった。管理もばらばらだった。入場料はそれぞれが八元、五元だった。付近の住民は無料でふらりと立ち入っていた。これが世界中に「孔子学院」を開設するという外交方針転換と平行して孔子廟と国子監とが合併され、入場料は二十元。内部をみてたいそう驚かされた。制服を着た職員らが増員され、「公務員」。たいした仕事もなくぶらぶらしている。内部掃除、おみくじ売りなど管理もマナーもなんだか官僚的となり、これまで孔子廟には庭園に受験勉強にきていた学生の姿が見られなくなった(それもそうだ、毎日二十元の入場料を支払って勉強にくる学生はいないって)。 上海では2010年五月から開催される万博会場予定地を見学、中国館はおおかた出来ていたがメインの米国館は影も形もなく、名物の外灘は全面的に工事中で立ち入り禁止だった。 有名なジャズが聴ける和平酒店(ピースホテル)も工事のため休業。駐在員めあてにやたらと1930年代の外国租界を想像させるレトロな屋敷を改造したレストランが増え、くわえて豪華ショーをやるバア(表の看板はカラオケ)が盛業中である。上海でもやっぱりタクシーが拾えなかった。 表面的にバブル現象は続いている。
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