世界紀行

ビジネスクラスの乗務員と宮崎
ビジネスクラスの乗務員と宮崎

北京ー上海間の新幹線に乗って

 中国新幹線の最大の目玉は北京ー上海間を驀進する「和諧号」である。なだらかな流線型の車体は華麗であり、わが東北新幹線の「はやぶさ」に酷似している。
 鳴り物入りで喧伝され、2011年六月三十日の開通式典には温家宝首相が列席し隣の駅まで試乗した。このルート、上海まで二十四の駅が新設された。北京の始発は北京南駅、終着は上海虹橋駅、いずれも新駅で市内からやけに遠い。
 ともかく北京ー上海間を日本に当てはめると、東京ー熊本の距離である。1318キロを当初の宣伝では四時間48分で突っ走ることになっていた。
 実際に営業開始から一ヶ月は時速350キロ! 米国ならニューヨークからアトランタまでの距離に匹敵し、アムトラックで十八時間かかる。米国ではよほど贅沢な暇人か、老夫婦の金婚旅行くらいしか利用者はいない。
 人口の多い中国なら北京ー上海を新幹線で行ってみようという客も相当いるに違いないし、げんに同区間を走る従来線の夜行列車は連日連夜ほぼ満席である。寝台車のチケットは一週間前に売りきれる。
 筆者は開業一週間目に試乗した。それも奮発してグランクラスに乗ってみた。その目的だけのために北京へ飛んだ。北京の友人たちは「物好きの限度がありますね」とからかう。
 車内では毛布、クッション、アイマスク、タオル、スリッパ、靴カバー、ヘッドフォンなどの備品があり、飲み物、朝食、昼食、夕食のいずれかとスナック、新聞が無料で提供される。美人の乗務員がにこにこ笑いながら運んでくる。
 おしぼり(紙タオル)、スリッパ(飛行機のビジネスクラスと同等)、スナック(安物)、弁当が無料とはいえ、食事メニューは選べないし、味は最悪。とても高級車両で配るモノではない。ご飯のうえに豚肉だけ。ビールは一種類しかない
 このルートは飛行機のほうが安い。
 第一に時間比較では明らかに飛行機に軍配があがる。
 北京の市内から飛行場まで平均で一時間かかる。空港での待ち時間と飛行時間で二時間半。上海空港で荷物待ち三十分、それから市内まで一時間。合計すると五時間である。宣伝通りだと新幹線が五時間弱で時間は新幹線が速いことになる?
 実態は異なった。東海道新幹線の「のぞみ」「ひかり」「こだま」と三つに分けて考えてみると分かりやすい。


新幹線チケット。
ずらり新幹線車両が並んだ(北京南駅)
新幹線チケット。 ずらり新幹線車両が並んだ(北京南駅)
コップまで「和諧号」のロゴ
しかしサービス弁当はかくのごとく貧しい
コップまで「和諧号」のロゴ しかしサービス弁当はかくのごとく貧しい

 中国新幹線「のぞみ」型は四時間48分の超特急だが、これ、じつは一日に二本しかない。筆者が乗った和解号は「ひかり」型で、途中駅の済南、徐州、南京などに停車する。だから上海まで五時間半かかった。各駅停車「こだま」型の和解号に乗ると六時間以上かかる。
 しかも7月23日の温州での新幹線事故直後から時速を50キロ減速した。その上、列車本数を25%削減した。新しい時刻表は九月一日からとされたが、九月と十月に中国へ行ったとき新華書店にも、駅のキオスクにも、どこを探しても売っていなかった。おそらく最高速度のぞみ型でも、現在は五時間強かかっている筈である。
 かくして中国の新幹線は次のような問題点がある。
 第一に中国新幹線の目玉である北京―上海は工期を2年も短縮、驚くほどのスピードで完成したため安全の側面から将来の事故がまだ懸念される。開業から4日間だけでも3回、エンジンのトラブル、原因不明の煙、豪雨による立往生による大幅な遅延があった。
 測量しながら、設計しながら、工事をおこなうという「三ながら主義」は、おそらく全体主義独裁でないと出来ない芸当である。そもそも日本のように用地買収の手間がかからず、これだけでも工期を数年短縮できたのだ。
 第二に駅舎やインフラが同時並行的に工事されていないので新幹線は開業しても駅舎の工事はまだ普請中、駅前広場はこれからいう場所が上海近郊の駅に目立つことも大問題だ。外交、軍事、政治の総合的整合性を欠く中国を象徴するかのようである。ついでにいえば地下鉄も同じ。9月27日の上海地下鉄事故は人災である。
 第三に途中駅すべてが新駅だが、旧市内とのアクセスが極端に悪い。
 たとえば西安新駅、武漢新駅、広州南駅、重慶北駅、福州南駅など旧市内へバスで1時間かかる。乗客はこのことも頭に入れて旅行計画を立てなければいけない。おまけに北京の出発駅にしても北京北駅、同南駅、同西駅はそれぞれが新築。こちらも市内のホテルからタクシーを飛ばして1時間近くかかる。
 第四にサービスのインフラが不足している点で外国人観光客を呼びにくい。たとえば駅のセキュリティ・チェックに20分を費やす上、外国人はパスポートがないと切符も買えない。また待合室からプラットフォームにかけてキオスクがない。時刻表を売っていない。駅員はつっけんどんである。
 だから驚くほどでもないが、開業から三ヶ月を経ても、北京―上海間の乗客が2割か3割しかいない。一等車両はガラ空きである。
 というわけで予期に反して現状は惨憺たる結果、これでは全土新幹線網の構築という席のプロジェクトは途中で挫折することになる。新規予算は四割が削られ、現実に哈爾浜ージャムス間など数千キロの新線建設は中断されると発表された。経営赤字も鰻登りとなっており、累積赤字は新幹線をふくむ全土の鉄道で二十五兆円!


北京ど真ん中SOHOでもテナントがらあき。
車内検札も女性車掌
北京ど真ん中SOHOでもテナントがらあき。 車内検札も女性車掌
上海までの一等車内はがらがらだった。
上海までの一等車内はがらがらだった。

 さて北京の定宿に二泊したが、理由は、その時点で新幹線は人気沸騰、二日後にしかチケットは取れないと事前に言われていたからだ。
 外国人はパスポート提示でしかチケットは購入できないため日本から中国の代理店に予約出来ないシステムに変更されてもいた。
 定宿から歩いて五分、建国門外の切符売り場に行くとパスポート読み取り器械がないので駅へ行けと言われた(これは予測通り)。北京駅で新幹線切符専用窓口を探し、三十分並んで、翌々日のチケットを購入した。
 翌日は情報通と会う予定だったが、電話すると急用でふさがったという。そこで友人と北京ダックをたべに全聚徳へ行った。行列一時間。超満員である。
 市内ではタクシーがつかまらない。行きも帰りもすし詰めの地下鉄。なぜいまも景気が良いのか不思議である。不動産価格は下降に転じており、株式は低迷のままなのに、しかも北京のホテルはつくりすぎて何処もダンピングの最中というのに、北京の市民は景気がよさそうだ。
 昼は前門も王府井も見飽きたので、新名所の后海へ行った。中南海につながる人工湖、その周辺に風情あるレストランとバアがぎっしり、デートコースでもあるが、外国人がとくに喜びそうなアミューズメント・センターの趣がある。人力車が走っている。レトロなおみやげが並び、写真屋がいる。
 新幹線の試乗日は早起きして午前七時には食事を済ませ、タクシーに荷物を積んだ。早朝ならタクシーはつかまる。北京南駅まで四十分で到着したので構内の上島珈琲でコーヒー、嗚呼、まずくて高い。


満員の全聚徳の内部
毛沢東号の陳列(鉄道博物館で)
満員の全聚徳の内部 毛沢東号の陳列(鉄道博物館で)
新幹線ホームで集団結婚式
北京西駅待合室は分かれている
新幹線ホームで集団結婚式 北京西駅待合室は分かれている

 上海までの新幹線は左右見慣れた風景が連続し、これ!という新景色はない。窓の外をスケッチしながら時折、電光掲示板を見入る。北京から上海まで300〜310キロを維持して見せた。
 グランクラスの乗客はビジネス幹部のようで(といっても二十四人定員に八人しか乗っていないが)、なんとなくムードも贅沢になれた人たち。携帯電話もせわしなくない。悠揚迫らぬ態度で新聞を読んでいたり、列車が停車するとプラットフォームに降りて煙草を嗜んだりしている。
 途中、やることがなくなったので座席をベッドにして昼寝を試みた。上海虹橋駅に予定通り一分の遅れもなく到着。ただし、この駅から宿舎のホテルへタクシーで一時間かかった。高速道路が渋滞表示、下の一般道へ降りたのが失敗だった。
 上海では某新聞上海支局長氏と夕食の約束。シャワーを浴びただけで約束の時間となりロビィで一年ぶりの面談。蒋介石の幹部だったという有力者の屋敷跡が瀟洒なレストランに改造されたというので、そこへ行くことにした。
 すばらしい庭、丹誠込めて作った形跡がありありとしている。ボーイ、ウェイトレスも洗練されている。上海租界の再現か、という雰囲気である。料理もなかなか、紹興酒も上等なものをそろえており、値段を心配したが、定宿のレストランの半値で済んだ。
 こういう穴場が上海にたくさん開店しており、上海に中国人の知り合いが居ないとなかなか情報が入らない。
 外国人に人気のある田子坊(浅草と表参道を混交したような観光スポット)にも行ったが、最近どうやら日本のガイドブックで紹介があったらしく上海の街では見かけなかった日本の女性ツアーがやけに目立った。


ビジネスクラスの座席は寝台にもなる
上海虹橋駅に到着(時間通り)
ビジネスクラスの座席は寝台にもなる 上海虹橋駅に到着(時間通り)
上海駅
上海駅

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