世界紀行

旧満州(大連、旅順、瀋陽、長春、ハルビン)を行く

国務院旧址にて筆者
国務院旧址にて筆者


日露戦争の旧跡に日本人のツアー絶えず

 十数年ぶりに旅順へ入った。
 日露戦争の遺跡がゴロゴロとあって「水師営」の会見場として有名な馬小屋のレプリカもある。
「庭にひともと棗の木、弾丸痕も著し」。なるほど庭には近年に植えた棗木がデコレーション用に添えられ、ロシア基地の塹壕址付近には「日露戦争記念館」がある。
 展示は嘗て反日一色だった。ところが最近は写真パネルに新しいものが混ざり、中国共産党との関連があまり触れられていない。観光客の大半が日本人であるため過去の静かな抗議(事実誤認訂正要求)が実を結んだのか?

 つまり日露戦争は中国を舞台にした列強間の戦争であり、中国共産党は無縁だった事実を追認したわけだ。
 旅順市内は外国人にまだ開放していないが軍港の写真は撮影可能になっていた。二千噸クラスの駆逐艦が停泊中で中国人の旅順観光は完全に自由化されており平気で軍港の写真を撮っていた。

 印象的だったのは東北三省全域で急ごしらえの火力発電所が目立ったことだ。
十年前に大連ー瀋陽ー長春ーハルビンと一泊を重ねながら全行程を列車で旅したことがある。満州特有の赤い夕日に大草原が見渡せた。三、四年前にもバスで何回が通ったが、駅舎で新築されたのはハルビン駅だけだった。
 今回、列車からの風景と言えばトウモロコシ、コウリャン畑のすぐ向こうに小規模な火力発電所がニョキニョキと急ごしらえ、丘には風力発電が並んでいる場所もあって、電力需要を補っている現実が読みとれた。
ともかく遅れをとってきた旧満州地区が躍進の波に乗って発展してきたことは瞠目に値する。


ロシア基地日本軍爆破口址 遠く旅順港が見渡せる
ロシア基地日本軍爆破口址 遠く旅順港が見渡せる

水師営馬小屋レプリカ 大連ロシア街の殷賑
水師営馬小屋レプリカ 大連ロシア街の殷賑

爾霊山
爾霊山

「アカシアの大連」はいま

 現代中国の「東北三省」とは黒龍江省、吉林省、遼寧省。これに内蒙古省の北西部と河北省の北の一部地域を加えると旧満州帝国の大版図に重なる。
 満州は十三年間(1932−1945)、れっきとしてこの地球上に存在し、当時の国際社会で三十カ国近くが承認、関東軍を含めて二百数十万人の日本人が暮らしていた。
 毎年、筆者はこれらの地域を順番に廻っている。
06年には牡丹江、桂木斯(ジェムス)、スイフェンガ。05年はチチハル、ハイラル、満州里。
その前年までには黒河、北安、孫呉などローカルな場所を廻った。寂れた中国の田舎の貧困を横目にしながら一部の材木加工、石炭・石油産業の躍進を目撃した。全体的に「やっぱり遅れているナ」という印象が否めなかった。

 大連は大通りが随分と綺麗になり、旧ロシア人街も整備され、排ガスと公害で枯れていたアカシアが一部の歩道に復活していた。
満鉄本社の執務室も観光資源として開放された。
 街ゆく人々も服装が洒落ており、日本の都会の風景と遜色がない。くわえたばこ、食べ歩き、歩きながら大声の携帯電話のマナーの悪さは違うけれども。。。
 シャングリラ、フラマなど豪華ホテルが各地に覇を争うのも面白い。
 サービスがかなり改善されて、夜のネオン・サインも先進国並みの眩さ、旧大和ホテルなどは新築豪華ホテルに押されて、いまや小数の日本人しか泊まらなくなった。

 四年前に大連ヒルトンに宿泊したことがあるが、建物ごと「日航ホテル」に早変わりしていた。
周辺は日本人駐在員相手のバアやパブが軒を競い、按摩とサウナが急増している。大連・森ビルの後側にも日本料亭、寿司、バアなどが林立している。
 しかし目立つのは韓国企業だ。
次から次へとあらゆる事業に果敢な投資。クルマも「現代」が目立つようになった。むしろ日本企業が減少傾向で上海へ移住している。
 昔から大連は日本語を喋る人材が豊富だが、企業は通訳に三倍ほど支払うため製造コストが高くなり瀋陽から北部への進出先変更を検討中の日本企業が多いともいう。


大連駅 大連港
大連駅 大連港

旅順日露戦争記念館内部の人だかり 旅順軍港(中国海軍軍艦)
旅順日露戦争記念館内部の人だかり 旅順軍港(中国海軍軍艦)


旧新京(長春)は、日本時代の建物の豪壮さが、ひときわ際立っていた

 長春は満州時代の首都だった新京の革命後の名前である。
世紀の都市計画のもとに日本は大がかりな工事を行って、あちこちに豪壮なビルを建てた。皇帝溥儀の巨大な御所も建設途中だった。
 日本は今日のブラジリアをしのぐ規模の新しい都を建設し、赤煉瓦、大理石をふんだんにつかった建造物を熱中するかのように建てた。

 昭和二十年八月九日にソ連が旧満州へ侵攻し、関東軍は通化へ参謀本部を下げて応戦した。
 北朝鮮に近い通化は、いま中国吉林省に属し、朝鮮族が多い。五十万都市だ。日本軍はここに飛行場をつくり、皇帝溥儀を通化まで脱出させたが、瀋陽へ舞い戻ったところでソ連軍に拘束された。
それから数年間、ソ連に抑留され、帰国後も撫順の収容所へぶち込まれた。数奇の運命をおくったラスト・エンペラーだった。
 こうした歴史的因縁から三、四年ほど前までは日本人のセンチメンタル・ジャーニー組で数年前まではホテルも満杯が続いたが、満州引き上げ組の高齢化によってその類のツアーは激減、かわりに韓国からの観光客で溢れかえる。

 しかし満州時代の歴史的建造物は山のように当時のまま残っている。大学、病院、共産党委員会、地方政府が「これは日本が作った」とは宣伝しないで、ちゃんと利用している。わけても関東軍本部址は長春市共産党委員会が陣取る。
 大理石、赤煉瓦の偉容を誇り、「八大建造物」と言われるは旧満州国務院ビル(吉林大学医学院に転用)、旧司法部(「部」は日本の「省」に該当。現在は吉林大新民校舎)、旧満州軍本部(吉林大学第一病院)、旧最高裁判所(軍461病院)、旧交通部(吉林大学衛生研究所)、旧農業部(東北師範大学付属小学校)、旧外交部(長春建設街)、旧民生部(東北石油化学研究所)となって往時が偲べる。


ガイドの李さん(旧満州国国務院) 関東軍司令部址は共産党委員会(長春)
ガイドの李さん(旧満州国国務院) 関東軍司令部址は共産党委員会(長春)

皇帝溥儀と日本関東軍将軍(蝋人形) 偽皇居内部
皇帝溥儀と日本関東軍将軍(蝋人形) 偽皇居内部

 関東軍本部は共産党委員会が使い、「満州国国務院」址は医大の実験室に転用されており、一階の一部だけが残って「東条英機も誰々も来た」と八十数歳と思われるボランティアのガイドは暢達な日本語を操った。ただし日本人観光客に新京時代の古い地図を売りつける(余談だが長春は学園都市にも変貌し、十九大学、学生数九万人)。
 以前、見学した時は四階の執務室の国務院総理が使った机にも座れた。いまや医学部実験室に化けてフォルマリンの臭いが漂う。
 旧満州引き揚げ者の感傷旅行ブームが去って、最近はトヨタなどが進出してきたので、日本人相手の新しいホテルや食堂は鼻息が荒い。豪華ホテルも並んでいる。ともかく観光地図がガラリと変わっているのだ。

 中国の歴史認識では満州帝国を認めないために「偽満州」と呼び、皇帝溥儀の仮御所は「偽皇居」と呼ばれる。その「皇居」址には新しく馬場が出来たり、正門が整備されて瀟洒な公園ができていた。
 公園の一番端っこに掘られた皇帝溥儀専用の防空壕も近年、公開されている。

 嘗て満鉄、満映の本拠。郊外には満鉄時代のアジア号の蒸気機関車が、残骸を展示していて多くの鉄道ファンを集めたが、ブームが一巡すると廃れた。とくに日本企業はトヨタが進出して以来、戦争を知らない、満州時代も知らない日本人エンジニアが相当数、駐在しているが、せいぜいカラオケに通うくらい。
 マレーシア、タイの華僑を筆頭に、香港資本がどっと長春に流入している。華南のビジネスマンは従来、北京以北に興味がなかったからこの現象も異変である。


皇帝溥儀との蝋人形 満州国御紋章(蘭)
皇帝溥儀との蝋人形 満州国御紋章(蘭)

瀋陽故宮天井の模様
瀋陽故宮天井の模様



瀋陽の街角で

 日露戦争で奉天会戦のあった場所は現在の瀋陽で遼寧省の省都。ライジングスターとして次期総書記候補のひとりでもある李克強が省書記をつとめる(この稿の執筆時点は平成十九年十月十日)。
人口は740万人。日本の領事館は、この街にある。
 新開発エリアは瀋陽北駅で、駅前にはお台場顔負けの高層ビル、それも奇妙なかたちの摩天楼が乱立している。個性を尊ぶ中国人らしいが、どこにも中華の臭いがある伝統的構造物とは無縁である。駅前には「東横イン」もある。

 旧奉天駅(瀋陽駅)は西街区に位置するが、日本時代の駅舎がそのまま残って感傷的になる。東京駅と同時に建てられた姉妹版、赤煉瓦も当時のまま。
 ところが「古くなって不便なので五年以内に建てかえられるでしょう」と地元建築関係者が侘びしげに言った。

 瀋陽駅前から中山広場にかけては昔の浪花町、大和ホテルや横浜商銀など古き良き煉瓦つくり、大理石つくりのビルはそのまま共産党委員会や工商銀行などが使っている。ところが地下鉄を工事中で、大都会ゆえに五年前後で姿を消しそうである。
ハンミちゃん事件で有名な観光スポットとなった日本領事館の廻りには欧米風のパブ、ショット・バアが目白押し、それがどこもかしこも中国人のヤングで満員なのだ。
そのなかの二軒を覗いてみたが、六本木や赤坂のショット・バアと変わらず騒音、煙草の煙りのなかに中国人のポップ・シンガーがギター片手に大声で唱っている。やかましい雰囲気に耐えられず早々にでた。
 ちょっと都心を離れると高層マンション街には西部デパートが進出し、ルイ・ビュトンなどブランド品が売られている。
 なんと急激な経済成長だろうか。


瀋陽駅前通り ホンタイジ玉座
瀋陽駅前通り ホンタイジ玉座

瀋陽目抜き通り 大和ホテル「ロビィ」
瀋陽目抜き通り 大和ホテル「ロビィ」

瀋陽浪花町あと 北陵(陵墓)
瀋陽浪花町あと 北陵(陵墓)

満州故宮
満州故宮

ハルビンの歴史博物館で

 ハルビンも喧噪は変わらないが、駅前に陣取っていた暴力的靴磨きの列はなくなり、タクシーも人々が並んで乗るようになっている。駅前に並ぶビジネスホテルには欧米人(とくにロシア人)と韓国人が多い。台湾の人はまずいない。日本人はちらほら。

 ハルビン市内の黒龍江省博物館で驚きがあった。
 中華歴代王朝の傍流として正史からはずされてきたキタイと渤海が登場しており展示コーナーには「契丹」、「遼」の表記が正式にある。武器、陶器、衣服など遺物とともにちゃんと女真族王朝の歴史的追認がある。
 二年前の秋に石油化学工場の爆発事故で、吉林から松原ーハルビンーウスリー河へと流れ出した百噸のベンゼン災禍。あのときハルビン590萬市民はミネラル・ウォーターで一週間を耐えた。来年にはダムが完成し、松花江からの水道水汲み上げを止めるという。
 現在の旧満州の表情である。


満州八旗 毛沢東瀋陽中山広場銅像
満州八旗 毛沢東瀋陽中山広場銅像

瀋陽駅は東京駅と同年完成同じスタイル 聖ソフィア教会内部(ハルビン)
瀋陽駅は東京駅と同年完成同じスタイル 聖ソフィア教会内部(ハルビン)

弁髪がファッションとして復活?(ハルビンで) ハルビン駅(07年8月)
弁髪がファッションとして復活?(ハルビンで) ハルビン駅(07年8月)


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