世界紀行

珠海−広州、広州−深せん・香港間は
華南の通勤電車のごとき鉄道網の拡充

二等車内も始発では込んでいなかった。
二等車内も始発では込んでいなかった。


 世界に衝撃をあたえた中国新幹線事故の後も、筆者はひたすら全線踏破のためにどこそこ区間開業ときけば、そこへ飛んで新幹線に乗り続けている。「さあ、これで全部乗った」と思いきや、またも次の新線が開通しているので際限がないのである。
 2008年の北京五輪にあわせて北京−天津を僅か30分で結ぶ新幹線の開通以来、電光石火の早業で全土に「高速鉄道ネットワーク」を建設してきた中国だが、7月23日の事故で全プロジェクトの維持と遂行に急ブレーキがかかった。それも強圧的ブレーキである。
 薔薇色の近未来シナリオがドカンと障害物に突き当たって自信喪失という感じである。

 以後の路線拡大計画は半分近くに縮小され、さらに時速が50キロ減速となった。つまり中国が世界一と自慢したスピードが強制的に遅くさせられ、事故防止の「安全」が強化される。付随して料金の値下げがおこるのは当然の帰結だろう。
 珠海(北)−広州(南)の新幹線は二等が44元だったが、今回乗ってみて、36元に値下げされていた。二割近い値下げだ。


香港へ向う国際列車の入り口は別。広州東駅。 中国でも珍しい五百羅漢。華林寺。
香港へ向う国際列車の入り口は別。広州東駅。 中国でも珍しい五百羅漢。華林寺。


 しかも百キロ弱という短距離なのに外国人はパスポート提示。中国人は実名記入というテロ対策は変わらない。同様な措置が各地で措られ、9月1日からは時刻表が大幅に改編された。にもかかわらず何処を探しても時刻表を売っていないためまごつくことが多い。
 そもそも8月12日から深せんで開催されたユニバーシアードにあわせ開通を予定されていた広州(南)−深せん(北)の新幹線は9月5日に開業が延期となった。
 それで筆者は直後に広州へ飛んでこの一番列車に乗る予定を立てたのだ。ところが行ってみてがっかり。新ルートはまたまた開通が延期され、じつは何時になるのかサッパリわからないと言う。急遽、広州東駅から香港へ出ている国際列車に切り替えて現在の表情を取材することにした。
 まずは珠海−広州に繋がる新幹線に乗るため旧ポルトガル領のマカオへ入った。香港からフェリーで直接行ける。
 三年ぶりのマカオは繁栄の最中、どえらい高層ホテルが林立しているが、これすべてが二十四時間不夜城のカジノである。
 マカオは本場ラスベガスの売り上げを凌駕し、カジノ稼業は事後も鰻登りの好成績だ。なぜなら博打好きの中国人が大陸から陸続とカネをもってマカオへやってくる(年間1300万人)からだ。ホテルも土産屋も飲食店もほくほく顔。タクシーもえらく高い料金だが、不平もいわずに客が多い。
 ラスベガスの御三家といえばMGM,ウィン、サンズである。
 この御三家が豪華絢爛ネオンに輝く高層ホテルをマカオにもおっ建て、それまでカジノ・ビジネスを独占した「マカオ王」=スタンレー・ホーの「リスボア・ホテル」に挑んだ。ホー一族は分裂し、叔母や娘達は米国資本と提携した。このためスタンレーは08年に本家リスボアの隣に52階建ての新館を建てて対抗した。巨大なロビィから扉を開けるとすぐに賭場が広がり、ルーレット、バカラ、トランプ、スロットマシンがずらっーと並び、無料の飲料を運ぶのはロシア美人。ロビィの床をぴかぴかに磨いているのはベトナム、フィリピンからの労働者だ。
 同じ地区にMGMもウィンもサンズも並んでいるから博徒は賭場を「はしご」する。
 「あすこの店は(玉が)出る」と噂を訊いて、違うパチンコ店に駆けつける心理と似ている。マカオ全体が競合市場だ。
 ポルトガル植民地の遺風がのこる観光拠点も多いが、些末なことで幾つか驚きがあった。日本語のガイドブックにも出ているレストランなど、食事に行くと若い女性がワンサカ、案内書片手に名物を食しているので、てっきり日本人と思ったら外れ。韓国人だった。
 香港でも同じ現象。つまり日本人がいなくなった分を韓国からの観光客が埋めている。彼女らは日本語をそのままハングル訳したガイドブックを持参しているから、日本人と同じ名物を買い、おなじレストランへ行くのである。
 店に入っても「コリアン?」と訊かれる。ただし韓国の女性は中国人女性と同じく、たばこを吸わない(少なくとも男性の前で)。日本の若い女たちより洗練されているように感じたのは錯覚かな?


マカオのシンボル、世界遺産の教会跡。 マカオの高台に残る砲台跡。
マカオのシンボル、世界遺産の教会跡。 マカオの高台に残る砲台跡。

マカオは坂の多い、風情の残る町並み。 リスボアホテルの新館。
マカオは坂の多い、風情の残る町並み。 リスボアホテルの新館。


 もうひとつ、マカオは質屋だらけだ。博打にまけた客が身につけた貴金属を売り払ったりするからで、逆に掘り出し物を目当てに中国から業者が蝟集する。「押」の看板は広東語で質屋を意味する。町中至るところ表通りに堂々の店構え、これはマカオだけの現象だ。
 というわけで、マカオの激変ぶりに感心しながら国境をあるいて渡り、広東省へ入国した。機械化がすすみ出入國手続きがたった五分で終わる。以前は一時間かかったから劇的なほどの変わり様である。
 広州へのゲート=珠海市内に入っても国境から新幹線の駅まではタクシーで四十分かかる。料金も邦貨換算で1100円。タクシーの安い中国では異例の高額。なにしろ新幹線料金36元は日本円で460円ですからね。
 そうしたアクセツの悪さを嘆いていては中国で新幹線には乗れない。事故も恐れては乗る気にもなれないだろう。
 8月31日、四川省達州発成都行きの高速鉄道が遂寧駅の付近で突如停車し、煙を上げる事故があった。現地のメディアによれば乗客がパニックに陥ったという。そのまま列車は動かず、後続がとまって大混乱になった。
 この事故があった成都―達州間はCHR旧型車両が投入されており、最高時速250キロと謳われたが、温州事故以後、160キロで走行していたらしい。
 さて珠海北駅へ着いてホームに入ってきた新幹線車両に「えっ」と声を上げる。まさにCHR旧型。ボンバルディア製だからスピードはでない。なぜか緩慢な速度と聞いて安心感がある。同ルートは100キロ弱の距離を50分ほどで走行し、途中に七つも八つも駅がある(筆者の乗った日の最高速度は195キロだった)。各駅停車。あたかも華南の通勤列車のごとくで乗降客が凄い。駅はすべて新駅、まわりは荒れ地だ。
 沿線は新開地、農地、養鰻場等もあるが、新しい団地に引っ越しの気配がない。椰子の木は南国特有の風景だ。水郷、こんもりとした緑をみると安心感がある。湿地帯をぬけると山稜を削って赤土が剥き出しの地区がある。ぼつんと新築工場がある。


珠海から広州行き新幹線は旧型。 新幹線駅の向うは荒地だ。
珠海から広州行き新幹線は旧型。 新幹線駅の向うは荒地だ。

 広州南駅へ着いてから五つほどの衝撃があった。
 現在のところ、この駅からは武漢と珠海しか繋がっていないが、いずれここから広州−深せん−香港と広州ーアモイが繋がる予定でそのため四本のプラットフォームが別途完成しており、閑散とした光景は予想通りだった。
 第一の衝撃は、しかしながら昨年夏に来たとき、まだ未完成だった地下鉄が広州南駅に乗り入れていた。工事の迅速なること!
 第二に広州で筆者の定宿「花園ホテル」にも地下鉄の新駅が出来ていたことである。それを知らなかったから途中の駅でおりて歩いた。事前に知っていたら地下鉄を乗り換えて広州南駅からホテルまで行けたのだ。
 第三の衝撃は広州市内ではタクシーがまったくつかまらないこと。ホテルで一時間まってもタクシーは来ない。盛り場でも乗換駅でも同じ。かのバブル時代の銀座・赤坂に酷似している。このため市内へでるにしても、毎日、地下鉄とバスを乗り継ぐ仕儀とあいなり、滞在中、ただの一度もタクシーに乗らなかった(というより乗れなかった)。
 第四にホテルのレストランが超満員、予約しないと食事も出来ない。この信じられない繁栄はいったい何だろう? そこで広州をそそくさと切り上げ、一部のアポは電話で用事を片付け、香港へ向かうことにする。幸いにもホテルから広州東駅まで無料の送迎バスがある。
 広州東−香港間の鉄道は既存ルートだけでも二つある。第一は広州東から深せんまでの新幹線「和諧号」。これは十分ごとに発車していて香港との国境まで行く。便利この上ない。したがって常に超満員である。
 第五の衝撃。広州東駅は新改装増設されていたが、一階が長距離列車と新幹線が棲み分け、二階が国際列車だ。これが香港への直通便。駅に着いて40分も余裕があれば次の列車に乗れると考えたのが甘かった。次の列車は満員のため三時間待ちで「次の次」と言われる。咄嗟に一階へ下りて新幹線の列に並ぼうとして軽いめまい。切符売り場までに500メートルの長い列があるではないか! しかも三重四重の列だ。
 しかたなく二階の切符売り場へ戻り、香港への直通特急列車を待つことにした。
 広州東駅から香港への線路に沿って新・新幹線ルートを併設するのも、こうした満員状況の緩和を計ろうというわけだ。


広州市内の地下鉄は優先席がある。 広州市内は落ち着きがある場所も多い。
広州市内の地下鉄は優先席がある。 広州市内は落ち着きがある場所も多い。


 今回の取材で乗り損なった新線のほうは広州南駅から深せん北駅までの区間工事は終わり、次に12年夏に深せん市内への入り口「福田駅」(飛行場がある)まで延長、2015年にこの新幹線を香港まで延長する手はずである。そうなると広州東−香港131キロは一時間以内で結ばれる(現在は二時間)。最高時速350キロを予定しているそうな。
 脱線だが一等車料金は香港ドルで190ドル、人民元が156元。香港の町中の両替店のレートも108 vs 100とか、人民元の方が強い。香港は圧倒的に人民元が通用する世界となった。
 さて香港は毎年のように訪れているが、殆どが乗り換え目的。じっくりと町を見学することは過去五年ほどなかった。1972年に最初に香港へ来たときは旧カイタク空港から市内までタクシーで十五分だった。新空港からは一時間かかり快速列車が飛行場から市内数カ所をつないでいるが、この料金はひとり180香港ドルと高い。
 時間が余ったので新名所をホテルのコンサージュ(よろず相談係)から聞き出し、出向くことにした。まずはフェリー乗り場の隣に新設された香港映画スターたちの手形、サインを道路に埋め込む「アベニュー・オブ・スターズ」。ハリウッドと同じ。日本でも有名なジャッキー・チェンやブルース・リーの箇所で記念写真を撮る韓国人、日本人が目立つ。
 香港島のほうには表参道、原宿に似た洒落たギャラリー、バア街、レストラン街が集中して外国人が三々五々と蝟集するSOHOという新名所がある。筆者が仕事でよく香港に通っていた二十年前にはなかった地区だ。NYにいるような錯覚があった。
 あちこちの海が埋め立てられ、新施設、新公園そして新道路。頭の中で固定的だった香港地図は塗り替えが必要になっていた。


これがジャッキーチェンの手形。 ブルースリーの銅像前で記念写真を撮る観光客
これがジャッキーチェンの手形。 ブルースリーの銅像前で記念写真を撮る観光客

香港の摩天楼群。 香港のハリウッド通りがSOHO。
香港の摩天楼群。 香港のハリウッド通りがSOHO。
しゃれたブティックやレストランが並ぶ。

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