国際情勢

「次に何が起こるか?」

waku


 911テロ以後、飛行機に乗るのが怖くて、「空の旅」は極力、敬遠された。このため、米国では航空便の復活に三年を要した。リーマンショック以後、景気が落ち込み、全米で住宅産業が復活するには五年の歳月が必要だった。いずれの回復にも従来の発想になかった新型ビジネスのGAFAが牽引した。
 バブル崩壊後の日本では「失われた十年」が、そのまま自動延長、まもなく「失われた三十年」となるのに、明るい展望がまるで拓けてこない。この状況にコロナ大恐慌に直面することとなった。いったい経済の回復はいつになるのか?
 米国ではケンタッキー州で「外出禁止をやめろ」とプラカードを掲げての抗議行動が開始され、数百人があつまった。参加者は「外出の自由がないのは監獄にいるのと同じだ」と叫んだ。
 トランプ大統領は感染の少ないミズーリ州、ミネソタ州、バージニア州などの知事(全員が民主党)に対して「規制緩和」を呼びかけた。禁止条項の行き過ぎは経済活動を阻害し、アメリカの再生に役立たないというわけだ。

 日本は外出自粛以後、皮肉にもコロナの感染が拡大し、大都市ばかりか地方にも拡がってしまった。二週間の休校、在宅勤務、外出自粛で感染はおさまるはずではなかったのか。
ビジネス街と盛り場は閑古鳥、ディズニーランドの休園がつづき、レストランも百貨店も居酒屋も客足が遠のいて、多忙を極めるのはマスク、体温計、人工呼吸器のメーカーと弁当、食品のテイクアウト、スーパーマーケット、そして運送業者である。
 米国でもウォルマートは急遽十五万人を雇用、アマゾンは合計十七万五千人を雇用して需要増に対応している。なにしろ失業保険申請が米国では1ヶ月で2200万人、ウォルマートの十万の求人募集に対して、百万人が応募したというから、雇用の深刻状況が伝わってくる。
 反面で自動車部品、耐久消費財などの製造業はエンジニア、工員の確保も難しく、サプライチェーンの寸断によって製造過程が軌道に乗っていない。
鉄鋼は高炉を止め、自動車は販売が激減し、量販店で売られているのは在宅勤務、テレビ会議用のズームなどに集中している。薬局チェーンにはあいかわらず「入荷予定はありません」の張り紙。マスクの姿がない。沖縄では一万枚のマスクを配るとの篤志家の行為に警官が出動した。街には露天商が進出しマスクを高値で売っている。

なぜ、ここまで人々はパニックに襲われたのか。

 第一にウィルスの正体が不明、感染ルートも不明とあっては、適切な処方が分からないために心理恐慌を来しているからだ。この恐怖心理が取り除かれるのは、ウィルスの正体が解明され、ワクチンなど特効薬に効き目があると分かるまでの期間だが、早くても年内になる。未知の危機へは最悪に備える心構えが必要である。
 こどもは未知のことを何でも知ろうとする。お化け屋敷で悲鳴を挙げるのは子供であり、大人になるにつけ、お化けの正体をしると、怖くなくなる。同様に未知の解明がなされると恐怖心は遠のくのである。

第二は恐怖が心理恐慌をむしろ悪化させていることである
 歴史を振り返れば、黒死病、赤痢、天然痘、チフス、コレラ、そして今世紀にはSARS、MERS、インフルエンザの大流行があり、たとえばSARSが完全におさまるには十八ヶ月を要した。いずれも情報の隠蔽が原因であり対策が遅延したことが大きい。未知への恐怖は人類の歴史が始まって以来、繰り返されている。
政府の役目は情報の徹底公開であり、メディアは過剰な報道を避けるべきだろう。
 年寄りのケアセンター、持病持ちの高齢者、そして院内感染が最大の死因であり、ほかの感染がすくないという特徴を、現在多くの人が知るところであり、もっかの対策は医療崩壊をいかに防ぐか、最大級の努力目標がそこに置かれている。

 第三に「その後」のシナリオが見えてくれば、人心が落ち着き、規制は徐々に解除されていくだろう。すくなくとも3密規制だけは解除が遅れるだろうが、在宅勤務などは徐々に緩和され、学校の再開も順次進む。未知への恐怖が稀釈化されるに併行して、ウィルスとの「共存」が進行するだろう。
「病原菌との共存」は人心が落ち着けば、新しい行動規範となるのではないか。
 たとえば明治時代、正岡子規は結核に冒されていたが、俳句仲間は会合をやめず、漱石も濃密に子規との交遊を深めながらも、しかも周辺では次々と結核で死んでいく人々が他出していたが、共存していた。日清日露の戦いでも、夥しい戦死者より、現地で疫病に感染して死亡した日本軍兵士のほうが多かった。
 恐怖心理をあまり深く顧慮しないで、営業を続けている喫茶店と居酒屋は大繁盛という皮肉な現象がある。
 「都会の孤独」、こんな時代だからこそ、連帯感をつよく求めて、あるいは「居場所をもとめて」、外出自粛もなんのその、だから営業自粛も黙殺して、需要に応えるのは心理解析として、研究課題になる。
 
巣ごもりが長引くとストレスが蓄積するが、もとより日本には70万人の引き籠もりがいる。行政は各地に「こころの相談室」を儲けているが、相談に乗れるカウンセラーがそれほど多く居るとも考えにくいことである。

 第四は前項の後節と関連するが、ストレスの爆発によって、突発的な社会の変化、珍現象がかならず起こることだ。新興宗教の勃興も大いにありうるだろう。
 日本の歴史でも、疫病の流行は早いところで『日本書紀』には天平年間には四分の一の人口が天然痘で死んだ記録がある。秩序が乱れ、都が廃墟となった応仁の乱などでは、餓死者が急増した。こうした時代には末法思想が世を席巻して、「厭離穢土 欣求浄土」の念仏行進があって、人々は救いを来世に求めた。
 不安心理が長引くとトロウマ、精神状態の不安定をもたらし、そのストレスが間歇的に爆発する。
 江戸時代なら一揆、近代では暴動、中国ならすぐに内乱となって、王朝を崩壊させた。
 コロナ予防は三密をさけ、家に留まり、ソーシャルディスタンシングが呼びかけられたが、マイナス現象はDV、家族不和、離婚騒動に発展するケースが報告されている。

ええじゃないか、お伊勢詣り、富士講

 江戸時代には「お伊勢詣り」(お陰詣り)という突発的な現象が、およそ六十年周期で繰り返された。このため江戸時代に庶民金融が発達する。今日の信用組合のごときメカニズムをもった講の発達がお伊勢詣りを支えた。
 ある日、ふいに町屋、商家の娘らが何かに憑かれたように伊勢へ行く。奉公人が雇用主にも告げずに伊勢へお参りに行く。道中では篤志家の商家が宿泊施設を提供し、食事を供与した。その東海道中の混雑ぶりは、歌川広重の「伊勢参宮 宮川の渡し」という浮き世絵に如実に描かれている。路銀を持たずとも麻疹の流行のように、人々は憑かれて旅立ったのだ。
 「冨士講」もそのひとつで、霊峰富士へ祈祷にでかけるため、「講」が本格的に流行った。皆が掛け金を持ち寄り、籤を当てた人が富士へ登攀に出かける。霊験あらたかな浅間神社の神札を貰いにどっと、甲州街道、東海道を埋めた。日本政府のひとり十万円の発想も、この講に起源がある。

幕末には「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂う不思議な行動現象が京都、尾張、大阪から四国で突発的に出現し、大政奉還の直前までこの狼藉は続いた。倒幕側が仕掛けた謀略という側面が強いが、京都の混乱に乗じた薩長が、幕府の体制を揺さぶり、維新へと展開させる効果があった。しかし参加した大半は自発的であり、踊りはなんだか阿波踊りに似ていた。

 さて現代日本では? 昨秋、渋谷でのハロウィン騒ぎをご記憶だろう、意味不明、何が目的なのか、ともかく渋谷には派手なコスチームやカボチャ人形や、日頃のストレスの発散場所のようでもあり、つまり彼ら目的は単に騒擾をつくりだすことであり、一種「狂演」とも言える末法現象と捉えることも可能だろう。
 ハロウィンはそもそもケルトの宗教儀式であり、敬虔な祈りの場であって、渋谷のハロウィンとは無縁。きっとケルトの精霊たちは眉を顰めたことだろう。

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