辛口コラム

書評その18
ドイツの現代政治は二大政党が機能するが、政治家の質は劣化
迷妄ドイツを一刀両断する爽快さと未来への憂鬱さを


川口マーン惠美著
『日本はもうドイツに学ばない?』
(徳間書店)

『日本はもうドイツに学ばない?』

 小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとってこの評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデスベンツをつくる器用な国民が、他方では奇妙なドイツ人の思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。
 一般的に日本人のドイツの印象は良い。いや、良かったと書くべきだろう。
 森鴎外が留学し、伊藤博文はプロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテ、トーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。
 手塚富雄、高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しんだ。三島由紀夫も第二外国語はドイツ語だった。

 ところが現代日本ではドイツがまるで語られなくなった。
 大学ではドイツ語を第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語へ語学ブームは移った。
 ドイツ政治を分析する論客も目立って減少した。

 日本の戦後政治は混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れず混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツの経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済は中国に抜かれるほどに疲弊した。
 このドイツは、政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本に売国的媚中派と保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツの政治は、ロシアの利益と通底する二流の政治家がいる。
 言うまでもなく売国奴的政治家とは、シュレーダー前首相である。
 川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。
 「シュレーダーは首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人やんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男がシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。

 戦後、アデナゥワーは米国と協調したが、ブラント政権で東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書は東ドイツのスパイだった。
 後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)

 だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言が左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーらSPDの面々である。
 現ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。

 日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。
 「ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」
 東方外交をすすめたブラント元首相はユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを要したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツと自分とを同一視していない」。いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分や国民の罪に対するものではない」。
 つまり「親族に人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。

 本書にはホーネッカー(旧東ドイツの独裁者)が、旧東ドイツ市民が秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、塗炭を味わっても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その塹壕が埋められる前の見学ツアー川口女史はでかけて、壮大な無駄と独裁の虚無を見いだす。
それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!

 また“ドイツの良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツの大江健三郎的な作家”ギュンター・グラスが青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー前首相がプーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係でベルリンが北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。
 次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだ。

waku

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