過去いくたの三島評伝や作家論、作品論が出たが、不明な点がまだまだ残った。
とくに生来の自家中毒、蒲柳の質、不能、同性愛などの三島の軌跡の外面の変化は読みとれても、創作側の三島の内面の心理状況の変貌は、当人を毎日監視でもしていない限り無理だろう。
三島は小学生時代からの作文や、成績表に混じって創作ノートを残していた。これらを解読する作業を通じて、ようやくにして全貌が見えてきた。本書はそういう意味でも従来の三島研究を画期する労作である。
過去に林房雄、村松剛、佐伯彰一、奥野赳夫、徳岡孝夫、渋沢達彦、藤島泰輔ら三島と親しかかった作家らが、三島の死の謎に迫ろうと努力した。それぞれが交遊を通しての主観が入るとはいえ、優れた伝記群となった。
他方、村上兵衛、石原慎太郎、野坂昭如も三島論に挑んで失敗した。後者の三冊は主観と思いこみが激しく醜悪でさえある。橋本治や松本健一など見当違いな三島論も現れた。
猪瀬直樹の『ペルソナ』にしても、世評は高いが、表面をなぞらえただけで、内面の分析は希薄である。
本書の著者・井上隆史教授は、三島由紀夫という存在は精神分析的に、どのような心理のもとで作品をつぎつぎと著したのか、時系列に分析した。
点と線を繋ぐには、もっと謎を資料から解く必要があった。
遺族から文学館に寄贈された夥しい創作ノートに謎を解く鍵があった
平成五年、山中湖に三島文学記念館が誕生した。ここに遺族からほぼ全ての資料、日記、創作ノート、メモ書きなどが寄贈された。
謎解きの本格作業は、それから始まった。処女作の特定、創作ノートによる当初構想と出来上がった作品との乖離などが、研究成果としておいおい公開されてきた。その成果の多くは『決定版・三島由紀夫全集』(新潮社)に収録・掲載されたが、その後も漏れていた新資料が夥しくでた。
山中湖の三島文学館・初代館長は佐伯彰一、二代目は松本徹。そして研究員のひとりが、この本の著者、井上隆史教授、もうひとりが佐藤秀明・近畿大学教授である。
この三人がいま三島研究の第一人者であり、鼎書房からも『三島由紀夫研究』をつぎつぎと世に問うている。
本書の特色は、時代時代の心理的変遷の掘り下げ、とくに三島由紀夫の心理、その精神状態を処女作より前に遡って小学生時代の記録や、本物の処女作が確定される以前の下書き的な原稿のメモ書きにまで迫り、それを読み解くという長い苦労の末の研究成果と、その過程での思考が集大成されている。
したがって、従来の三島論では曖昧のまま、推定・推量・揣摩憶測でぼかされてきた箇所や、自己韜晦的だった少年時代の謎が霧が晴れるように明らかになっていくのである。
題名にあるように、三島の仮面は豊饒である。
「三島由紀夫が被った仮面は、いすれも高い完成度を示し、すなわち彼は、余人になしえぬ数多くの業績を残した」が、その「仮面」を通して井上氏は幼年時代から自決にいたる精神の過程と創作との連関性に挑むところから本論をすすめる。
だが三島の仮面は多面体であり、「三島を論じようとする者は目の回る思いがし、こう呟きたくなるのである。いったい三島由紀夫とは何者なのか? 本当の三島はどこにいるのか?」。
これまで処女作とされてきたのは『彩絵硝子』だったが、十四歳のおりに「館」という小説を書いていた。
これはオスカー・ワイルドの『サロメ』に強烈な印象を受けた作品だが、続編が存在していた。三島家に保管されており、全集のなかに加えられた。『館』は未完に終わった。
このころ、三島は同時に多くの詩を書いた。だが、限界を知ったのか、三島は詩から離れる。
三島自身が詩をあきらめる理由を先輩の東文彦にこう書いた。
「私の詩はへんに、言葉の問題に苦しんだり、叙情ということを強く考えたりしてから駄目になったと自分でも思っております」。
後年、三島は『私の遍歴時代』のなかでも、
「(一時的に虜になった詩作は)偽物の詩で、叙情の悪酔いだった」。
レイモンラディゲの甚大な影響
十六歳になった三島は詩より小説へ向かった。
レイモン・ラディゲの強い影響を受けた。
三島は必死になって『ドルジェル伯の舞踏会』を模した。「こころのかがやき」、「公園前」、「鳥瞰図」のような習作が書かれた。いずれも未発表。しかしようやくにして『決定版三島由紀夫全集15』に収録された。従来の処女作の通説が覆った。
そして井上隆史氏は「これらは失敗に終わった」と総括する。
理由は「まだ恋愛体験がない三島に、ラディゲ以上の恋愛小説を書けるわけがない」うえに、「登場人物を増やしたり、奇を衒うような恋愛小説の構成に腐心するなど、表面的な事柄に関心を向けてしまった」からである。
だが、これらの精神と詩作の格闘の中から、やがて『花ざかりの森』が誕生する。
蓮田善明は「我々自身の年少者」、「悠久な日本の歴史の請し子」とたたえた。
しかし終戦、妹の死、不能、同性愛など、三島の精神は安定せず、揺れに揺れ動いた。作家として自立する自信はなく大蔵省につとめ、坂本一亀氏の強い慫慂によって『仮面の告発』をかく決意に至る。同時に作家として独り立ちする過程でもあり、この間の動きを作品や三島のノートなどから、井上氏は実に丹念にひろって実証作業を続けるのだ。
そして本書では重要な事柄がさりげなく叙述されているが、三島の最初の恋人、二番目の恋人、そして三番目の愛人が実名で登場し、しかも彼女らとの交際が、具体的にどの作品のどの場面に使われたかを克明に追っているのである。最後の愛人だった女性は『橋づくし』に登場する。前者らは『沈める滝』『禁色』にモデルとして使われている。
三島は俄然、目覚めた。人生を強く生きよう、と基本的態度が変わる。
戦後文壇で「仮面の告白」の成功と「青の時代」の世俗的成功で本格的にデビューし、その後『潮騒』『金閣寺』で金字塔を打ち立てた三島は現代文学の寵児になる。
映画や演劇にも手を染め、しかし精神の彷徨は続いていた。それが『鏡子の家』となるが、世評は芳しくなく、ふたたび三島は精神的に落ち込んだのだった。
ギリシアへ行き、結婚し、家庭人となって三島は精神の安定を得た。だがそれも束の間間だった。
ここで看過されてきたのは「榊山保の筆名で切腹ポルノ小説『愛の処刑』を発表」と、従来、疑惑とされた作品を三島が書いたと井上氏は断定している。
また『三熊野詣』を従来の折口信夫モデル説を超えて、これは三島の精神をみずから描いた自画像と言い切るところにも、本書の新鮮な視角が伺える。
『小説とは何か』に述べられた空おそろしい世界が襲う
それから『喜びの琴』「憂国」と、ひたすら走り続けて、最後の自決へと至る過程は、いまや幾百の評伝、伝記、文学論でお馴染みであり、紹介する必要はないだろう。
だが、本書の一等特色的なこととは、三島由紀夫の戦後の精神の過程を、あたらに発見された資料によって実証して見せたことである。
これが偉業なのだ。
三島は『小説とは何か』のなかに書き残している。
つまり『暁の寺』を書きおえるや、三島は「いひしれぬ不快」に襲われる。彼は書いた。
「それまで浮遊していた二種の現実(作品内の現実と作品外の現実―すなわち『憂国』の主張などと現実生活の乖離ならびに楯の会という現実)は確定せられ、ひとつの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になった」(中略)「しかしまだ一巻が残っている。最終刊が残っている。『この小説が済んだら』といふ言葉は、今の私にとって最大のタブーだ。この小説が終わった跡の世界を、私は考える事が出来ないからであり、その世界を想像することがイヤでもあり恐ろしいのである」と三島由紀夫が書き残した文章箇所を、井上氏はことのほかに注目する。
これは「只事とは言えぬ内容を伝えている」として、井上氏は次の分析をする。
「『鏡子の家』が世に受け入れられなかった時以降、深刻な虚無に蝕まれ、綱渡りのような生き方を続けてきた。昭和四十年以降は、『豊饒の海』を執筆し、『英霊の声』を発表し、民兵構想のために精力的に活動してきた。ところが、今すべてが失速してしまった。(中略)考えることができない」ものが、既に三島を襲っているのである」(本書232p)。
本書は三島文学研究者のみならず三島ファン必読の書に思われる。
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