『正論』に連載されていたものをまとめたのが本書である。
最初、手にしたときに佐藤優氏と『国体の本義』とはイメージ的に結びつかなかった。氏は確か同志社大学でキリスト教神学を学ばれた筈なのに?
戦後GHQによって「禁書となった『国体の本義』を読み解く」と副題がついているように、昭和十二年の『国体の本義』を現代の国際情勢と、いまの日本人が分かる日本語に置き換えて解説したものである。それも佐藤氏独特の視点から。
こういう企画がなぜ生まれたのか、非常に興味がある。
政治家にも官僚にも教師にも本来の使命感が失われて、国家の行く末なんぞどうでも良いと考える時代的雰囲気となった原因が『国体観』の喪失にあるからとする筆者は、『国体』とは国民体育大会ではなく、国家の根本原理であるとし、改憲論議も、愛国心も、国体論が基本になければ机上の空論であると断言される。連載中に読んでいなかったので、新鮮な驚きがあった。
多くの日本人は、それでも初歩的な疑念を国家に抱いてきたのではないだろうか。
君が代はなせ歌われないか。なぜ学校の卒業式で我が師の恩を感謝する「仰げば尊し」が歌われないのか? いやなぜ学校にいつも国旗が掲揚されていないのか?
北朝鮮の拉致問題になぜ日本は軍隊を派遣して奪回しなかったか。生麦事件でイギリスは薩摩に軍艦を派遣した。それが外交である。
北の核武装をアメリカ頼みにするのは言語道断、竹島は軍事力で解決させるか、すくなくともその姿勢を恒にしめすのが外交。フォークランドをアルゼンチンが奪ったとき、イギリスは海軍を数千キロ彼方に送り込み、戦争をやって取り返した。それが外交である。
こうした常識を戦後日本人が失った理由は、国体の本義を理解しないからである。
だから改憲改憲を口で言っても、いざ改正案となると奇妙奇天烈なものが出てきて首を傾げざるを得なくなる。
評者(宮崎)もかねてより読売新聞などが発表した『改憲論』に疑念を持っていた。いや、ああした小手先の改憲は、むしろやらない方がいい。自民党の改憲論も、基底にあるべき民族の精神がない、技術論である。国体が明徴にならないのであれば、改憲なんぞしない方が良いとかねてから考えていたが、佐藤氏もどうやら同じ考え。というより小生よりはるかに過激にそうなのである。
本書でも次の指摘が佐藤優氏によってなされている。
「(自民の)憲法改正が途中で頓挫してしまったのも、国体論を詰めずに法技術的に憲法を改正しようとしたからだ」。
佐藤氏がほかのメディアに連載している北畠親房の『神皇正統記』を読み解く、とか、或いは毎年吉野で行っている連続講話合宿など、佐藤氏が打ち込んでいる作業の根幹が、その思想の淵源の一つが、この『国体の本義』への現代的解説だったことにようやく合点がいったのは全部を読み終えてから。
まず通読後の率直な感想は、右翼を自認する氏が拘置所から直行便で国体の本義や神皇正統記に飛び込んだ理由が氷解したことだった。
古事記、日本書紀の現代語訳や解説書は、いまでは山のようにある。しかし神皇正統記のただしい読み方も国体の本義をこう読むといったたぐいの本はなかった。最近、徳富蘇峰が再評価され、大川周明、内田良平が評価されはじめ、すると次はおそらく北一輝だろうという予測さえある。
私事ながら編著・内田良平の「シナ人とはなにか」はふたたび某大新聞の広告拒否にあったが、なんとか増刷が決まった。
話をもとに戻す。
佐藤氏は「『国体の本義』が目指したのは、イスラーム原理主義者のように過去をそのまま現代に復元しようという時代錯誤(アナクロニズム)でないこと」を最初に大書して指摘し、次いで孟子や老荘思想を日本に土着化させたのが日本的智恵あり、孟子はもともと易姓革命の思想であり、老荘は現実からの逃避でしかなく、せいぜい竹林の七賢という自己陶酔型に逃げたとする。
『国体の本義』はこういう。
「ややもすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなしえなかった結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或いはその延長としての思想である。これらの思想の根底をなす世界観人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に置いて個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等を主張すると共に、他面において国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重する」
そして佐藤氏は繰り返す。
「西欧文明、西欧思想を否定し、排斥しているのではない。(『国体の本義』は)西欧思想の分析的、知的遺産を日本に土着化させようとしているのだ。その土着化によって日本の国体を強化することを意図しているのだ」と。
文中に明治天皇御製がさりげなく挿入されている。
「しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける」
思わず口ずさんでしまった。
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