辛口コラム

書評その3 日本人が中世より涙した伝説『小栗判官』を現代に甦らせる試み
   言葉は無情、されど口伝えの言葉は水の粒子に似て。。。

松本徹著 『小栗往還記』


松本徹著 『小栗往還記』

 これは物語なのか、奇譚なのか、それとも浄瑠璃か歌舞伎の原作か。それでいて同時に洒脱な紀行文なのである。
 現代日本人の荒廃した精神に冷や水を浴びせる衝撃的な文(ふみ)の爆弾でもある。浪漫派の旅行記として読んでも幽玄である。
 本書は所謂「おぐり伝説」を追って、いきなり破天荒な物語を浄瑠璃調で紹介しつつ、そのあまりの面白さに釣られて、気がつけば京都から茨城は筑波山の麓へ。八王子、藤沢から相模へ。そして大垣から熊野へ。地獄からうつしよへ。はたまた足利時代なのか、鎌倉なのか、ふと気がつくと江戸時代前期だったりする。

 よく知られているように小栗伝説は、遊行の一行が鉦叩き、とくに「首から紐でさげた鉦(かね)を打ちならし、一行が念仏を唱和して踊る」。
「人集めのため歴代の遊行上人の霊験譚や供養する当の人物の逸話」も加わり、これは「伊勢・熊野信仰などに繋がる一方で関東における武勇談を大幅に取り入れ、つぎつぎと枝葉を広げ、恋の物語へと大きく成長したが、人気を集めるに従い、宗派を越え、鉦叩きだけでなく、同じように巡り歩きながら物語を語る神明巫女だとか熊野比丘尼、また、その他の放浪する芸能社たちによって語られる」。

 三味線、操り人形、浄瑠璃。小屋がけ。歌舞伎の近松「当流小栗判官」は、今日でも上演される。寛永年間には絵巻が読まれ、つまりは二百年三百年という歳月のなかを、物語は成長し枝葉が肥大化したが民衆に根付いた。

 そこには「語り手が旅した時代時代の山野や宿、市、町、そして、われわれの祖先の声、ひいてはわれわれの暮らしの奥深くに根ざす何ものかが息づいている」(10ページ)。

 現代の情景と巧みなコントラストを重ね合わせながら、伝説の現場へと赴く松本氏は筑波の山懐の食堂に入ると、小栗伝説が地元の味付けで異なる物語がそこにも存在していることを知る。旅には二百年前の現地の絵地図を持参していたり、旅先の廃屋のような寺院の境内で芸人とおぼしき、江戸時代の風情のような人間に出会ったりする。この芸人の影が各地の伝説の場所につきまとう。
 この紀行文学に見えて、じつは精神の紀行ともとれる筆致はみごとという他はない。松本徹氏の代表作のひとつになるだろう。
 旅は京都から始まり、茨城から相模、大垣、熊野、そして美濃で終わる。
 まことに自在に、時空と場所と天と地を越えて、小栗判官伝説がたくみなストーリィ・テラー兼文藝評論家兼作家の松本徹独自の世界観から地声が鳴り響くように語り出される。

口承の伝統は旧かな、総ルビで。。。

 しかも、驚きがある。
 この本はすべて旧かなで書かれ、その上、総ルビなのである。
 一種冒険的、現代の乾いた小説群へのアンチ・テーゼ。
 評者(宮崎)にも幼年時代の微(かす)かな記憶を辿ると、総ルビの絵物語があって、歴史の偉人達の血沸き、肉踊る物語の数々が講談社からシリーズで出ていた。
 楠正成も平将門も絵物語から知った。猿飛佐助も霧隠才蔵も、実在の人物だと思っていた。
 伝承と実話と作り話が錯綜し、後世の拡大解釈や歪曲や再編があって、多くの物語は蘇生し、いや、或いは消滅した。

 『小栗判官』こそは、時空を越え、天国から地獄を往還し、地域を越え、そこしれぬ奇譚が織りなした壮大なドラマだ。オデッセイやマナス伝には及ばぬまでも、日本人の情感を刺激するには十分である。
 それを現代になって松本氏はなぜ伝説通りに現場を歩く決意をされたのか。
 しかも行く先々で、まるで数百年前の伝承からでてきたような鳥居があり、塔があり、慰霊碑があり、墓地があった。

 さりげなく松本氏は、旅を思い立った基盤を言う。
「わたしが尋ねたいのは、そうした文字で伝えられるよりも、漂白する人々が口から口へとからり伝えた物語の方なのだ。文字の場合、書いた当人の恣意がそのまま意座り続けるが、口承の場合は、語る働きが恣意を消す」(92ページ)。
 そしていったん物語通りに終わったはずの旅が、最後にもう一度大垣へ向かう段取りとなる。
つまり主人公たちは、神としていまも現地では祭られているのではないのか、と。

地元ではひっそりと伝説はいきていた!

 小栗は京都の高貴な出自。七十二人もの妻をめとり、理想の女性ではなかったのか、放埒のあと離別し、漂泊した先で絶世の美女・照手姫にめぐりあう。しかし結婚に反対した照手姫の一族は奸計をもって小栗毒殺を図り、しかし、小栗は地獄から閻魔大王の決断でうつしよに餓鬼阿弥として送り返され、転々と東北、北陸から美濃の宿に売られていた照手姫が、それとも知らずに、熊野の湯へ送ろうと瀬田までやってきた。
約束の期限になって照手姫は美濃の宿へ帰るが、餓鬼阿弥に変形している小栗判官は49日間、熊野の湯につかって元の姿に戻り、京都に戻る。そして美濃一国をもらい受けて、そこで、奇跡の照手姫との再開を果たしたのだった。

 説教「おぐり」には、後日談が記載されており、小栗判官が八十三歳で大往生を遂げると神々と佛達が集まり、
「神にいはひこめ、末世の衆従におがません」
 その場所は美濃のくに、墨俣に正八幡としてあると。

 松本氏は、もう一度現地へ赴き、そしてついに見つけだした。小栗判官の御神体は正八幡。墨俣神社の傍に潜んであった。
 もう一人悲恋の主人公は「照手姫」。揖斐川の東岸近く、結(むすび)地区に結大明神がある。その唐風の社殿の奥に照手姫の文字盤を発見する。
「参道をもどりながら、わたしは満たされてくるものを感じていた。物語を締めくくった言葉は、言葉の上だけのものではなかった」(241p)

 帰り道、揖斐川の流れをゆっくりと筆者は観察している。
「幾億万の水の粒子がひしめきあって、海へと流れ込んで行く、と思った。これら粒子は、海へ出ると、やがて太陽によって熱せられ、重力を奪われるとともに、龍と化して上昇するだろう。その空の高みで、粒子はふたたび重力を宿し、地上へと降り注ぎ、地を潤す。(中略)このようにして天と地の間をめぐる運動を繰り返しているが、言葉もまた、そうではないか、と考えた」。

 その言葉が幾百年も日本で鉦打ち、小屋がけ、浄瑠璃で語り継がれた。
 壮大で波乱な物語となって、謡曲に歌舞伎になって今日まで、「この国土を巡り歩く無名の人達によって語られ続けた」。
(『小栗往還記』は文藝春秋発行。1890円)。

waku

表紙

2000-2008 MIYAZAKI MASAHIRO All Rights Reserved