戦後66年にして初めて知る真実の数々。
GHQが戦前の思想書、哲学書、時事的解説などを禁書扱いとして、ひそかに書店から図書館から撤去させていたことは西尾幹二氏の労作『GHQ焚書図書開封』(徳間書店からシリーズⅠ―Ⅳで刊行中)で知らされた。
それに協力する日本人学者がいた。焚書扱いとなった貴重な書籍は7000冊以上に及んだ。
こんど、溝口郁夫氏が挑んだのは、GHQによって日本から消された戦争絵画である。「戦争絵画」といっても思想宣伝でも軍への阿諛追従でもなく、人間が極限状態でいかなる表情をつくるのか、どういう立ち居振る舞いがなされるかを絵画を通して克明に表現した、いずれも名画といって良い作品群、芸術である。
評者(宮崎)は、こういう経過をまったく知らなかった。
藤田嗣治、向井潤吉、宮本三郎ら、実に錚々たる日本の画家らは、戦争中、現地に派遣され、名画を残した。戦記、従軍記も残した。GHQは、これら日本の美術も「戦争を鼓吹した危険な絵画だ」として、持ち去ったのだ。
没収された絵画のうち153点かが米国から「無期限貸与」という形で返却され、これらを仔細に検証すると、たとえば、「バターン死の行進」が全くの嘘であることが分かる。(本書には153点の一覧表と可視か否かが識別された図表もある)。
バターンの死の行進? 米兵が行軍の途中で海水浴をしている。珈琲や医療サービスを受けている。捕虜収容所ではポーカーをやっている。日本が捕虜を残虐に扱っていない真実がありありと分かる。
藤田嗣治という天才画家は、そう、戦後中河与一が世渡りの旨い作家らの密告と逆宣伝によって広く誤解されたように、左翼のでっち上げた噂が蔓延した上、米国占領政策の手先となったジャーナリストらによって貶められた。
藤田は愛国心から書いた。藤田はアッツを描き、ノモンハンを書いた。
そして藤田は戦後の日本の精神退廃に絶望し、フランスへ移住する。後日、保田與重郎は「藤田をフランスへ追いやったのは恥である」と述懐した。
本書は各戦線の典型的な名画を写真入りで配列し、それに付帯する解説や、当時の画家たちの従軍記の抜粋を並行させながら、あの戦争の全体像、その背後の真実に迫る。
これは誰もが脱帽するほどの労作である。
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