この著作は日本文化の根本から湧きいずる静かな熱気と鬼神にせまるほどの魂が籠められている。
井尻千男氏の「お屋敷」と、その立派な庭園と「茶室」を知っているものにとって、何故、井尻氏があれほどの情熱を傾けて維持されているのか。
それこそは文化事業でもあるのだが、その希有の行為に男の美学を見る。井尻さんの著作に親しんだものであれば、氏の訴えの多くが美意識からの日本への警鐘であることを知っている。
井尻邸の景観と庭園の設計思想の視座から、伝統的な日本庭園の美を語り、茶室の本質を探求しつつ日本の文化の精髄を凝視する。
この作品は井尻氏渾身の文化論、精神復活の呼びかけである。
歴史との和解の仕方、近代日本の宿命としての二元論を生きた男たちが、ユニークな文化論の視点から簡潔に雄坤に描かれている。
「利休が『わび茶』の境地を深めたのは還暦を迎えてから」だった。
「わびた草庵茶室の完成は宗旦だったとされている」。それは「非政治的であろうとする決意と、清貧という現実を積極的に引き受けたところに、草庵茶室という新しい美学が完成した」。
こうした美学的探求のあと、井尻氏は山梨の自宅に自分が設計した茶室をつくる決意をするが「私のめざす茶室は草庵茶室が出現する前の書院風小間となった」。
先祖伝来、樹齢三百年の松を使い、「床柱は角材、うずくり仕上げの秋田杉、床框も角材、黒漆のつや消し、客畳上の天井は思い切って格天井にし、その桝目四つに照明を入れ込んだ格天井は、茶室の歴史にない」。
しかも「思い入れの最も強いところは床の間の鏡天井で、ここには一枚板を入れることになっている。思いついたのは、私が子供の頃に勉強机にしていた一枚の座卓である。」
東側にあった樹齢六十年の楠は「家相からいっても朝日をさえぎってよろしくない。私は決断した。その楠を切って、良材になる部分だけを残し、その他を灰にして新しい茶室の炉にいれようと」。
問題は、なぜ井尻氏がここまでの情熱を傾けて、茶室を創出するに至ったのか。
次の文章がさりげなく、本書に挿入されている。
「今日の日本の富裕階層の人々は、もうほとんど和風文化を支持し買い支えていない。系譜不明の洋風建築の家を建て、ヨーロッパ直輸入の家具調度品をそろえ、フランスとかイタリアのブランド品で身を装い(中略)、主要国でこれほどに自国文化から乖離してしまった富裕階層はないだろう、旧植民国を別にすれば。つまり、金持ちが自国文化を何ひとつ買い支えていないということだ」。
そしてこうも力説される。
「財界数寄者の系譜が途絶えたのは間違いなく精神史の問題」である。
戊辰・明治を闘って近代日本を築き殖産興業の先駆者となった多くの初期の財界人を比較せよ。
かれらは近代化を提唱しつつ欧米建築を積極的に導入したものの一方では「和風文化の精華を買い支え、享受した」。
明治鹿鳴館時代、江戸の浮世絵や仏教彫刻など、多くの国宝級美術が海外に流出した。われわれはNYのメトロポリタンなどへ出かけなければ、浮世絵の全貌を知ることさえできない。
他方で、訳の分からない西欧美術が流入し、亜流の文化、さらには無国籍の日本文学を産んだ。国籍不明の芸術が持てはやされてきた。その戦後は伝統という文脈に立てば、虚しい時代、文化空白の時代だった。
しかしながら明治から昭和の御代にかけて、たくましく西洋化の流れと平行して日本美を恢復しようと努力した人々がいた。
題名に出てくる二元論を生きた偉材として、松永安左右衛門、益田孝、原富太郎、畠山一清、根津嘉一郎、五島慶太、小林一三、高橋義雄、井上馨らが、その雅号とともに紹介される。かれらが如何に古典と日本文化の精髄である美術品を集め、そして見事な庭園を残していったのか。
「ノブレス・オブリージ(高貴なる義務)を失った現代日本人を見ると、「どうやら戦後教育ばかりか、富裕階層の教育にも失敗したというべきだ」
そして根源に横たわる茶室の伝統を簡潔に繙き、信長から秀吉の時代に活躍した千利休、山上宗二、古田織部ら。また徳川時代に数寄者としても知られた小堀遠州、片桐石州、松平不昧、伊井直弼を網羅し、寸評しつつ文化の本源に迫る。
本書を通読した翌日に井尻邸で恒例の「園遊会」が開催され、その茶室で井尻氏自身の点てた茶を頂きながら、天井や杉床や照明具合をみた。凝るというのは、こういうことなのか。
当日、山梨の富士の裾野にあつまった面々は皆が日本文化に一家言ある御仁ばかりで、美術史の田中英道氏、思想史の西尾幹二氏、言語学の萩野貞樹氏らに混じって加瀬英明、呉善花、石平、作家の中村彰彦の各氏ら総勢三十名が伝統の茶を愉しんだ。
評者(宮崎)がその席で話題としたのは、上の文脈からみた司馬遼太郎記念館である。
およそ司馬の戦国大名の世界から遠く、日本の伝統建築と甚だしく乖離してのミナレット風の建物は、以前になにかに書いた記憶があるのだが、「あれは司馬遼太郎記念館というよりも、安藤忠雄記念館ですね」。
その後、したたか酔って談笑の場となり、小生ら四人は塩山温泉に一泊する仕儀となった。本書の直截な感動の余韻から酩酊となり、その夜は、山梨の地酒で時間を忘れた。
(『男たちの数寄の魂』は清流出版発行。2,100円)。
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