日本歴史でスリルに満ちた時代は戦国と幕末維新だろう。最近は古代史もブームとなり、さらには観応の擾乱とか、応仁の乱も見直され、本能寺の変の裏面もずいぶんと研究者が増えた。
しかし幕末維新に限って言えば、広範な資料、それも未発見だった文献を見つけて、歴史に埋もれてきた人々を甦らせる作業を一貫して書いてきた作家は中村彰彦をおいてないのではないか。
おもしろ可笑しく書こうとすれば、信長の横死を謀略史観のように奇譚に仕立て上げた加藤廣のような作家もいるが、中村はあくまでの史書を資料の基礎としているので、時代小説ではなく歴史小説家というべきなのである。
さて、本書は知られざる逸話の集大成であり、たとえば薩摩のチェスト剣法の由来とか、尊皇攘夷の発想の起源とか、河井継之助を『バカ家老』と呼んでいた話とか、見落としがちな奇話の連続で、じつは評者、本書を片手に機中の人となり、取材先のモルディブの宿で読み出したら、途中でやめられず、朝の静かな海の光りに気がついたとき、読み終えていた。
とくに興味を惹くのは幕末に瞬間的に誕生し、短時日裡に消えた藩が四つあること(鶴田藩、香春藩、岩国藩など)。反対に幕末動乱で消滅した浜田藩と小倉藩の経緯も詳細に書かれている。
さらに度肝を抜かれるのは『勝ち組の内訌』つまり、内ゲバである。
もとより水戸藩の内訌は天狗の乱となって、悲劇を産んだが、戊辰戦争に勝ったはずの長州藩は騎兵隊の暴走、腐敗で勝利後も内紛に疲弊した。
薩摩の悲劇は維新前のお由良騒動が有名だが、じつは戊辰戦争以前にも激しい内部対立で犠牲者が輩出した。こうした悲劇はそこら中で展開されていた。政変とは、血の犠牲を伴い、その恨みは百年消えないだろう。
会津は保科正之を藩祖として、雄藩だったがゆえに蝦夷地警備をやらされ、さらに誰もが引き受けなかった京都守護職の任にあたらざるを得なかった。
最後の藩主となった松平容保は、その後、悲壮ともいえる悲劇の主人公となった。流された斗南藩とは穀物も不作続きの土地で、移封後に餓死した旧藩士や家族、ボロ家屋に着るものさえなく寒さに震え、この赤貧の中から柴五郎が誕生した。
また海外移住に積極的になったのも、諫言すれば「挙藩流罪」ではなかったのかと別の角度からの光りを宛てている。
会津藩は逆賊ではなかったことは明治中期にすでに証明されていたが、それは孝明天皇の直筆が公開されたからで、のちに東大総長となる山川健次郎は「白虎隊総長」と渾名されたが、兄が書き残した『京都守護職始末』を公刊したからだった。
かくして著者の立場は「明治150年」でなく、「戊辰150年」史観に基づいている。
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