著者の神田國一氏は三菱重工 FSX設計チームのリーダーだった。
防衛装備品初の日米共同開発で作られたF-2戦闘機の外形こそ、米空軍のF-16戦闘機に似ているが、機体構造、材料、とくにソフトウエアの大半は日本主導の開発だった。
ケビン・カーンという外交官が在日米大使館に赴任したあたりから、共同開発の雲行きは俄かにあやしくなった。
カーンは、「テクノロジー・ナショナリスト」と言って良く、日本に戦闘機技術を渡してはなるものかという、溢れるような愛国心、つまり日本側からいえば反日家だった。カーンが日本における実態を調査し、連邦議会を動かし、開発中止へワシントン政治を動かそうとした。
親日的だったレーガンからCIA長官出身で親中派のブッシュに政権が移行した時期と重なり、手嶋龍一の『ニッポンFSXを撃て』は、このカーンの工作開始から描写が始まる。
多くの読者は反日の陰謀家だったフランクリン・D・ルーズベルト大統領が書き残した命令書を思い出した。
「日本にゼンマイ仕掛けの飛行機を持たせてはならない」とするGHQ命令301号は昭和20年11月に発布された。
三菱、中島飛行機の生産設備はことごとく打ち壊され、大学では流体力学の講座が禁止され、自主開発の零戦の技術者も設計技師も失業した。
占領が終わるまでに日本から航空機をつくるエンジニアの伝統が消えていた。
だから戦後初の「国産旅客機」YS―11は「国産の名機」という自慢話を聞いたものだったが、実態は、エンジンがロールス・ロイス、プロペラはダゥティ・ロートル社と外国製だったのだ。
本書は従来説の誤謬を訂正する。過剰な報道に誤りがあり、共同開発はメディアが書いたように「失敗」ではなく、米国が後日評価したように「成功」だったという。
F-2は、米空軍のF-16戦闘機をベースに改造開発された。しかし「日米共同開発」などと言っても、情報がすべて米側から開示されなかった。たとえ同盟国であっても、相手から得る物がない限り、すべての手の内を明かさないのが共同開発の実際だ。
日本には炭素系複合材やCCV技術などの先行研究があった。それで日本独自の仕様を満たす戦闘機を完成させることに成功した。
余談ながら評者(宮崎)は、共同開発が決まった直後に民間のシンクタンクに転出していたケビン・カーンにワシントンでインタビューしたことがある。中味はすっかり忘れ、その記事を挿入した自書も、はたしてどれだっか定かな記憶がない。それほど時間は経過してしまったのだ。
種々の制約があって、本書の出版は遅れたが、日本チームは米国側の全面的な情報開示がないなかで独自の開発に熱中した。働き蜂で「セブン・イレブン」の渾名をとってのが、設計チーム・リーダーとして技術者を統率し、数々の難題をクリアしてプロジェクトを成功に導いた主任設計者の神田だった。
その貴重な記録が本書だ。残念ながら神田氏は最後に三菱重工顧問を努め、2013年に冥界に旅立たれた。
さて、2030年代に退役を迎えるF-2の後継機問題が注目されているが、12月8日付けの読売新聞には下記の記事が踊った。
「政府は7日、「防衛計画の大綱」(防衛大綱)に関する与党ワーキングチーム(WT)の会合で、航空自衛隊のF2戦闘機の後継機について、日本の主導で早期開発を目指す方針を説明した。国際共同開発も視野に入れる。国内防衛産業の技術力を保つ狙いがある。
今月まとめる次期中期防衛力整備計画(中期防)に明記する。具体的な開発計画は数年以内に決める。
F2は約90機配備されており、2030年代に退役が始まる。防衛省は後継機について〈1〉国産開発〈2〉国際共同開発〈3〉既存機の改良の3案を検討してきた。政府は、空自で導入が進む米国製の最新鋭戦闘機「F35A」について、国内での組み立てをやめる方針も示した。完成機の輸入で、1機あたりの調達価格は約153億円から30億円程度安くなると見込んでいる。愛知県内の組み立て工場は整備拠点に替わる見通しだ」(引用止め)。
もし、そういう事態となると、国内の戦闘機技術は喪失させられる怖れがある。
F-2の後継機は国産か、少なくとも、日本主導による共同開発でなければなるまい。
本書の著者神田氏は力説する。
「F-2の次の戦闘機、F-3を開発する際に大事なことは、次期戦闘機開発に通用する「新技術を推定する」こと、そして自分たちがこれをXF-3に織り込むことができるように「新技術を自家薬籠中のものにする」ことです。(中略)このような努力を積み上げていかないと、継承するべき技術が雲散霧消してしまい、継承できなくなると思われます。FS-X開発を通して、チーム・リーダーとしての私が常に念頭に置いていたのは「F-2の開発技術力をどうやって次の戦闘機開発に継承していくか」ということでした。この開発技術力の継承こそ、あとに続く技術者たちに託しておきたいことです」。
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