本年度の『正論大賞新風賞』を受賞した楊教授の新作である。
毛沢東から習近平までの中国共産党による独裁国家建設の過程でおきた血なまぐさい殺戮と弾圧、繰り返された粛清、密告、そしていまウィグル人になされている民族弾圧の実態は、SNSのグローバル化によって世界同時の情報ネット社会となっているにも関わらず、西側は正確に把握できていない。
宇宙を遊弋する偵察衛星は、新彊ウィグル自治区におよそ百万人を収容する強制収容所を発見したが、その建物の内部で展開されている拷問、処刑、洗脳教育の実態はカメラには映らない。
毛沢東時代には監視、密告が奨励され、「當案」という個人ファイルが地区共産党の手によって作成され、人民を厳しく監視し、管理し、完全に支配した。ちょっとでも党に逆らうような意見を吐くと、拘束され拷問され、死刑か労働改造所へ送られ、過酷な労働が強いられた。
まさに暴力によって恐怖を植え付け、人民が反抗できないシステムを築いたのだった。
評者(宮崎)は1980年代初頭に台湾や米国、香港で夥しい中国からの亡命者にインタビューし、収容所内での体験を聞いた(拙著『中国の悲劇』参照)。
改革開放から四十年。AIを徹底的に軍事と人民監視に駆使する中国は、防犯カメラの精度をあげ、顔面認識と声紋のデータバンクを構築し、巨大スタジアムの音楽祭に集まった六万の群衆のなかからも、忽ち三十数名の指名手配者を逮捕した。AI機器とコンピュータシステムの人民管理がほぼ完成したのだ。
ドローンでは世界一の量産国家となった中国は、これをさらに改良し、実物の鳩のような飛行が出来る忍者ドローンも登場させ、山岳地帯や砂漠のなかの不穏分子さえ追跡している。
毛沢東時代も現代も、中国では人民の監視、個人のプロファイル作成という全体主義システムの本質はなにも変わらない。この独裁の系譜が、毛沢東の再来を僭称する「AI時代の独裁皇帝」=習近平に引き継がれているのだ。
さて本書を読んでいて、これまで知らなかった中国現代史の裏側が幾つかあるが、その一つは、延安へと至る「長征」(本当は『大逃亡』だったが)のコースで、毛沢東の辿った道筋いがいに、もう一本の西ルートがあったことだった。
長征の部隊は二手に分かれ、毛沢東は「東路軍」を率いた。数万人が従ったが延安に到着したのは五千人だった。
楊教授は次のように指摘される。
一方「西路軍は蘭州から新彊に入ろうとしました。ところが青海省近辺を制圧していたイスラム軍閥に全滅させられます。イスラム軍閥は中国人とアラブ人、トルコ人、モンゴル人との混血部隊で、非常に強力な騎馬兵を擁していました。その騎馬兵に西路軍の男性は全員殺されてしまい、女性はムスリムの第二夫人、第三夫人にさせられていましました。この西路軍全滅の史実は、中国では80年代までタブーとされてきました」(66p)
また林彪が朝鮮戦争の参戦に反対したが、毛沢東は参戦を決意し、じっさいは反共産主義の蒋介石残党の兵力を最前線にだした。敵対的軍閥を死線へ送り込むのだ。だから師団ごと米国側へ亡命する『事件』も相次ぐ。
朝鮮戦争では最初の軍事指揮者は膨徳懐だった。かれは毛沢東の無二の親友だったが、朝鮮戦争で毛沢東の息子が死んだことを膨の所為にこじつけて失脚させ、林彪をカムバックさせる(104p)。
また胡耀邦の失脚は王震の讒言によるという裏話も、本書で明らかにされている。
胡耀邦は新彊に駐屯していた生産建設兵団を解散させ、「内モンゴルでも粛清されたモンゴル人の名誉回復をはじめて」いた。
これに反対したのがトウ小平で「81年、漢民族をモンゴルに移住させるという案を党会議で採択させたのも、王震が「胡耀邦が我々の政権の転覆を狙っている」(183p)と密告、というよりも讒言があったからだった。胡耀邦は失脚させられた。王震は当時、新彊駐屯部隊のボスだった。
興味深い逸話を書き出したらキリがない。
楊海英教授は知られざる歴史的な逸話が次々と綴る。しかし、小欄ではこのあたりで紹介を擱くが、中国現代史の裏面が浮き彫りになった。
AI時代になろうが、なるまいが、中国人のDNAが突然変異でもしない限り変わらないのである。
明日の中国に希望があり、発展が続くなどとする幻想を捨てよう。「夢」を語るのはよそう。悪魔が嗤うだけだ。
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