戦前の初等科の歴史教科書の復刻だが、改めて通読すると、なんと我が国の歴史は浪漫的であり、英雄達は人間くさいことだろう。『初等科 国史』は古事記、日本書紀を土台にしての正史を鼓吹しており、同時に教養に溢れる物語として歴史を教えていたことがわかる。文章も格調高く、深い文化の香りが漂う。
神話から説き起こし天皇を基軸としてきた我が国の政治の在り方、文化の奥行きの深さが、そこはかと感じられる。そのような工夫もさりげなくなされているのだ。
この教科書を貫くのは、武士道精神と日本人の美意識、ゆえに楠正成親子の桜井の別れの名場面は浪曲的に描かれる。北畠親房、顕家親子の尊皇家としての義挙と敗北も美的に書かれている。
近世に入ると、やはり皇国史観の色調が前面に出てくるのは致し方ないにしても、信長が尊皇家で明智光秀が逆賊という評価は短絡的すぎて、納得し難い。だがおそらくこれがあの時代の歴史感覚であり、雰囲気であったのだろう。なぜなら同様な基調が大川周明や徳富蘇峰にみられるからである
近世への評価は明治政府の解釈が伏線にあって、秀吉が過大評価され、相対的に家康への評価が低い。薩長史観が混入してきたことが明瞭である。
これらは戦後の左翼史観とは別の次元で、科学的に反証されているが、南朝史観に貫かれて、足利尊氏が悪党と決めつけられているあたりは戦前教科書の限界だったのだろう。近年の歴史学は尊氏も立派な尊皇家だったことが立証されているが、これらの歴史論争は、本稿では置く。
鳥羽伏見の役の評価となると俄然、薩長史観が露呈し、松平容保への評価は低すぎる。吉田松陰の過大評価は現代もそうだから、これも措くとしても、西南の役はたったの一行である。
さて問題は、GHQがなぜ、この教科書に墨を塗らせ、あげくに回収し、世の中から抹殺したのか。戦後、まったく逆の史観を強要したのか。
この教科書が放った爆発的な精神のパワー、パトスの固まりが当時の日本人を突き動かし、一億玉砕を謳い、国民全員が火の玉のような武士道精神に燃えたぎっていたからだ。
GHQは怖れ戦き震えた。
日本人のこの精神を根底的に消滅させ、アメリカに従わせるためには、歴史の否定しかない。日本人の洗脳工作の一環として、間違った歴史、改竄された日本史が強要され、大東亜戦争は太平洋戦争となり、国民の英雄たちは、貶められた。日本精神は深く傷つけられた。
こうした戦後の経過を踏まえて、本書を読み返すことはたいそう意議深い。
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