副題は「世界大戦を引き起こした男」。
セルビアにおける銃弾、暗殺事件を切っ掛けに欧州での戦争は不可避だったが、地域紛争で終わるはずだった。
オーストリア皇太子夫妻は、サラエボ訪問を始めたときから町の様子の異常を認識していた。
なぜか警備が少なく、町が異様な敵意に満ちていたなかで、行事をこなした。
橋のたもとのビルの角で、偶然にテロリストに発見され、撃たれた。いま、この場所は『観光名所』となって、評者(宮崎)も、ここで『記念撮影』をしたことを思い出すのだが、この銃弾が、なぜ大規模な第一次世界大戦になったのか。
世紀の陰謀の主人公はウィンストン・チャーチルだった。
渡邊氏は多くの資料や、評伝のみならず近年になって初めて公開された関係者の日記やメモから傍証してゆく。
なんともまぁ、しかしながら英国の貴族階級という特殊な階層社会では、不倫大好き、いや不倫はスポーツであり、文化なのだ。それも男性よりも女性が積極的なのだから、日本的倫理からすれば理解を超える。
「英国の社交界では不貞関係の詮索がお楽しみの一つでもあった」(64p)。
チャーチルの父親もそうだが、母親ときたら、百人を越える不倫の相手がいて、父親が急逝すると若い貴族と再婚するほど、日本的価値観からいえば淫乱だった。
父親は政治家として名声を博し、ロンドンの社交界でも大物だった。
チャーチルは、母親譲りなのか、次々と恋人をつくり、しかも、その度に財政に恵まれるという強運の持ち主だった。台所は豪奢な生活を維持するための綱渡りだったが。。
したがって、この英国の支配階級の道徳観、人生観、世界観、結婚観が分からないとチャーチルが分からないのである。
これまでの私たちの理解では、チャーチルは「FDR、スターリン」とならぶ世界史の三悪人くらいにしか認識してこなかった。
またデブ、高価な葉巻愛好家、英国軍人にしては背が高くなく、ワイン好き、例外的に文章がうまいということくらいしか知らなかった。
若き日のチャーチルは精悍で、痩身で、神経質そうな風貌をしている。陸軍士官学校では砲撃、騎馬に優れていた。ぎらぎらしたチャーチルの野心は一日も早く、派手な軍功を立て、勲章に輝き、それをバックに政治家になることだった。
こうした人格形成を重視する筆者は、チャーチルの全体像に迫るため両親の結婚にまで時代を溯り、しかも両親から親戚、そして友人達の愛人関係の相関図に深く踏み込んで、当時の英国の社交界を活写するところから始まる。歴史の裏面である。
つまり1914年のバルカン半島の銃弾にいたるまでに、本書は浩瀚なページの三分の二が費やされるという、類書にはない構成となっていて、それも冗漫な説明ではなく、一気に読ませる筆力に、引き込まれてしまった。
チャーチルは乳母に育てられ、名門ハロー校に入学するが、落第生扱いされ、陸軍士官学校でも成績は芳しくなかった。
チャーチルは語彙が豊かで、例外的に表現力が卓抜だった。むしろ作家の資質が勝っていたようだ。
チャーチルは政治家になるために、第一に軍功を建てることに専念し、自ら戦場を志願してインド赴任中にもスーダンや南アへ行くのである。しかし軍功による勲章ではなく、南アで捕虜となり、収容所を脱獄し、『ヒーロー』となるのである。
しかも戦争従軍記を、新聞社、出版社と契約して、ベストセラーを量産するという側面を持ち、これらを背景に政治家へ転身した。
しかしチャーチルの戦記はフェイクに近く、個人的感情が強く、フーバー第三十一代米国大統領は、「チャーチルの著作は信用できない。著作の殆どを無視する」といって嫌った話は有名だろう。
やがて政治家として、父親の友人たちや、そのコネクションから得たユダヤ人人脈、そして母親の不倫相手のコネも徹底的に利用して、出世階段を強引に這い上がったのだ。
しかも世話になって当選できた政党を捨て、途中で保守党を裏切り、野党が与党になる勢いの時に所属政党を変えた。
強運が続き、チャーチルは若くして通産大臣、そしてまわってきたのが海軍大臣だった。陸軍出身者が海軍のトップに?
しかしチャーチルは「海軍狂」になった。
戦争指導のポジションを得て、戦争をするか、しないかの決定権を首相をさしおいて軍を首相の裁断も得ずに派遣して戦闘の既成事実をつくり、開戦へ英国を追い込むという離れ業をやってのけるのである。
「第一次世界大戦はヨーロッパ各国が夢遊病者のように始めた戦い」(歴史家クリストファー・クラーク)。
こういう解釈が一般的だが、渡邊氏の、歴史修正主義の立場からの解釈は異なる。
「ヨーロッパ大陸の戦いは不可避であったが、大陸だけの限定戦争で終息できた。それを自己中心的な外交を展開した上で参入した英国があの戦いを世界戦争にした」のである。すなわち「ウィンストン・チャーチルが何としてでもドイツ海軍を潰し、英国海軍覇権(大英帝国覇権)を墨守すると決めたから起きた戦争」なのである(346p)。
これがチャーチルという英国の闇が産んだ『英雄』の実像だった。
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