辛口コラム

書評その74
日本人作家はシルクロード幻想に騙され中国を礼賛したが
全体主義独裁の本質とは非人間的な悪魔の性格である


楊逸、劉燕子 著 『「言葉が殺される国」で起きている残酷な真実』(ビジネス社)

『「言葉が殺される国」で起きている残酷な真実』

 楊逸さんは初めて外国人が日本語で書いた小説で芥川賞。劉女史は知る人ぞ知る中国文学研究者。この二人の女流作家が、知られざる中国の悪行の実態を、文学的な視点から斬り込んだ。
 とくに楊女史は近年になって『わが敵・習近平』(飛鳥新社)を上梓され、ながく沈黙してきた中国共産党批判を舌鋒鋭く開始した印象があるが、潜在的な不満は幼少の頃から体験した一家の悲哀、そして下放という深刻で無惨な経験が堆積していたのだ。
 天安門事件前後にも、北京を取材し、いったい何が起きていたかを自身の目で確かめてきた。
 それゆえ、はっきりと断言するのである。
 「たしかに中国は一筋縄ではいかないひどい国ですが、その『悪の本質』は背後にある共産主義です。習近平政権が終わればいいという問題ではありません。だからこそ今、中国共産党の百年をいかに振り返るかが重要なのです」。
 また対談相手の劉燕子女史はこう言う。
 「今、チベットや香港、ウイグルの問題が注目されていますが、にもかかわらず、なぜ日本人は、新彊ウイグルというと、井上靖のシルクロード、NHKのシルクロードだけになってしまうのか。私には不思議、というか残念でなりません」。
 かくして二人は中国独裁政権に招待された日本の作家たち、あるいはカメラマン達が、結果的に中国の明るい印象を振りまく宣伝工作のお先棒を担がされて、利用されたにもかかわらず、反省したのは開高健だけである。  日本人ばかりではない。文豪ヘミングウェイがみごとに中国に騙されて、中国共産党をたのもしく思い,国民党を批判し、名作『誰がために鐘は鳴る』と書いたとされてきた。こうした事実はまったくなく、中国の捏造であったことが実に詳細に分析されている(184p=202p)。
 しかも文学者の政治利用は外国だけでなく、じつは中国国内でこそ深刻であり、今も利用され続けているのが魯迅である。
 二人の対談は、つぎにノーベル文学賞作家の高行健(受賞時にはフランス国籍)とチェコの作家ミラン・クンデラの文学の本質に関して。
 評者(宮崎)がとりわけ面白く、印象的だったのは中国人初のノーベル文学賞作家、莫言に関しての客観的かつ辛辣な分析で、共産党批判をしない莫が、なぜあのときに本命と言われた村上春樹を押しのけて受賞できたかの背景に迫る。  大江健三郎は、米国に亡命した鄭義の作品を『グロテスク・リアリズム』と比喩したが、楊逸さんは莫言の作品を「マジック・リアリズム」とし、すれすれの比喩と詳細描写を書き込むことによって、結果的には全体主義批判になっていると分析される。
 楊逸さんは、かく分析される
 「同じ作家でも、背中にのしかかった圧力が全然違う。ひとつの山が背中に載っているか、ひとつの石が背中に載っているかの違いです」(108p)
 ひとつの山の重みと石の軽さは劃然と両者を分けるという意味で、「莫言は,常に政権の顔色をうかがいながら,ぎりぎりのラインを守って書いているわけです。そのぎりぎりのラインはどこにあるのかは,彼しか知らない」。
 この個所、評者は唸った。
 つまり、莫言は日本に来ても知り合いには左翼が多いばかりか、左翼系のメディアしか彼を取り上げないのは、皮相な判断でしか、彼を見ていないからだろう。
 本書は文学を論じながら、文学を視点としての全体主義批判であり、大いに参考となる文明論でもある。

waku

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