文民統制というのは、そもそも誤訳である。
シビリアンコントロールが「文民が軍人を規制する」トカの誤解がまかり通り、とどのつまり、自衛隊は「普通の国」の常識的な軍隊ではなく、警察の延長でしかなくなった。すなわち「日本国憲法」が、政治と軍事の関係を根底から破壊したため、異常な状況が長らく続き、日本国家がいびつになった。
このままでは自力で日本を守れないことは明らかだが、不思議なことに「政軍関係」は政界・官界・学術界、そして論壇でも議論にのぼらなかった。
そこで田久保忠衛座長のもと、国家基本問題研究会(桜井よしこ理事長)が研究会を立ち上げた。専門家を集めて議論を重ね、問題をまとめた。それが本書である。
田久保座長は言う。
「自衛隊は特殊なもので国内的には軍隊ではないけれども国際的には軍隊と見なされている」
まるでコスタリカである。中米唯一の白人国家コスタリカには軍隊がない。なぜならクーデターばかり繰り返した軍隊はそっぽを向かれ、なくしてしまった。国防は警察が行う。
自衛隊は行政的には警察である。妙な存在で、『警察と同じ法体系にある』という大事なポイントが本書で示されている。
「自衛隊が軍隊になるための理想は元首に直結することです。」
英国では大権は国王であり、『国をまもるということに対して王家が先頭に立つ』
ところが、自衛隊は、この点が曖昧で、管直人首相のおり、「統幕長と陸海空三軍の長を前にして『僕が自衛隊の最高指揮官というのが初めて分かった』と迷い言を吐いた。しかも笑い話で済まされた。
軍人勅諭の精神はどこへ行ったのだろう?
嘗て「軍人勅諭」が軍人のモラルを律した。
現在の自衛隊には五つの『自衛官の心構え』が述べられているが、忠誠心、武勇、質実剛健という言葉は入っていない。忠誠心の対象は曖昧であり、「忠勇無双」は「忠勇夢想」になってしまった。
解説のなかで編集責任の堀茂氏が指摘している。
「仮に天皇と自衛隊との関係において統帥というものが不要であるならば、自衛隊はこれからも警察的行政機構であり続ける。この合意は、用兵作戦まで政治の指揮監督下に入る『私兵』的存在ということである。軍は政治的統制を受けるが、精神的統制の対象が政治家ではなく国家元首にむいているからこそ『私兵』とならない」(58p)
したがって三島由紀夫が「栄誉で繋げ菊と刀」でのべているように主の為に死に場所をもとめる精神の高貴を担保するものがない。
「総理大臣の出勤命令で得心して死地に就けというのはあまりに残酷である」と掘氏が指摘する。
政治と軍の関係を78年間も有耶無耶にして、わが国が延命できたのは一つの僥倖だった。これから本格的議論が望まれる。
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