ロシアの現実や行く末をモスクワやサンクトペテルブルグの軸から論ずるのではなく、カフカスという異端の視点から眺めて、ロシアの政治の現実と舞台裏を鋭角的に、そのKGB的強権政治の本質を抉っている。
新しい女性論客の登場だ。
ロシアを別の角度から論ずる人は、ややもすれば異端視されがちだが、故・秋谷豊、山内昌之、イスラムの関連では佐々木良昭の各氏の活躍がある。
クレムノロジストというのは、鉄のカーテンで締め切られたクレムリン宮殿の権力闘争のゆくえを分析する専門家だった。
米国にはコンドレーサ・ライス(現国務長官)を引き合いに出すまでもなく、リチャード・パイプス(レーガン政権)、タルボット(クリントン政権)らソ連の専門家が外交助言を繰り返してきた。
ゴルビーが登場し、ソ連が解体され、ロシアのくびきを離れた筈だった国々には秘密警察の桎梏は希釈されても、つぎにはナショナリズムを強権政治に利用するという新しい苦痛が待っていた。資源戦争が激化し、ロシアに反旗を翻せば手痛い仕打ちを受けた。
モルドバも、グルジアも経済制裁に沈んだ。
アゼルバイジャンとアルメニアの紛争では、ロシアはアルメニアに肩入れしながらも、じつは資源ルートや鉱区の権益を手に入れた。
評者(宮崎)は旧ソ連で、まだ行っていないくにが五ケ国ある。グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、そしてモルドバとトルクメニスタンである。しかし専門家ではないので、なかなか取材のチャンスがなく、行きたいという意志はあっても、機会がなかった。
くわえてこの列に「未承認国家」が四つある。
モルドバに反旗を翻す『沿ドニエストル共和国』、アゼルバイジャン国内の『ナゴルノカラバフ共和国』、グルジアの「アブハジア共和国」と「南オセチア共和国」だ。
いずれもNHKスペシャル取材班がようやく入国できたか、どうかというややこしい地域である。
著者の廣瀬さんは、専門にカバーする対象がこのカフカス。
それもアゼルバイジャンに留学し、ぐるりと、これらの「元ソ連」で「反ロシア」的なくにぐにを命がけで回ってきた。手に汗握る旅行のなかの危険。ミステリアスな人々。
女性の単身旅行では、物騒で、治安のわるいところばかり、学究専門家でなければ、とても観察に赴く気力も起きない場所ばかりで、その知的で冒険的な観察行にまずは乾杯。
日本人にとっても、ロシアは“恨み骨髄”のくにである。
盗んだ北方領土を自分のもとだと言い張り、満州からは日本の設置した工業施設を根こそぎ持って行き、ついで日本人エンジニアも拉致した。
当時の帝国軍人は公式統計でも67万人。うち7万人前後がシベリアで重労働の過労と飢えにより死んだ。
ロシア各地に立つオペラ座などの立派な建物は殆どが日本の軍人が建てた。
この国を信用して資源開発をすすめてきた日本の財界も、最近「サハリン2」プロジェクトでは煮え湯を飲まされて、唖然となった。
ロシア人とまじめに付き合っていては損ばかりする。だが地政学上、中国の背後にある軍事大国であり、我々はロシアを政治的に利用せざるを得ない。
しからば、直接的にロシアの脅威と嫌がらせと、信じられないほどの政治干渉に曝され、ことあるごとに経済制裁を受けながらも、グルジアもアゼルバイジャンもモルドバも、いかにして戦ってきたか。
日本人作家で、この分野に挑んだ人は少数である。熊谷某という作家が、チェチェン問題に挑んだくらい、英国ではジョンルカレが、真っ先にテーマに挙げたのだったが。。
バルト三国はヨーロッパと海で繋がっているので、まだしも、陸続きの中央アジア・イスラム圏五カ国は、欧米への接近ままならず、結局はロシア型専制政治に舞い戻った。
カフカスはチェチェンに代表されるように果敢な戦いを挑む少数民族が、一方において山岳に跳梁跋扈し、国内国を形成している。その情念、その民族主義と愛郷精神、その怨念とスーフィズムに、果てしなく興味を惹かれる。
本書を熟読してこれまで分かりづらかった地域の謎がすこし解けてきた。
|