十年がかりの西尾全集、のこるところあと一巻(22巻B)。
それにしても書架を眺めるとこれら二十三巻だけで本棚の相当なスペースを占める。(第二十二巻なのに、現在までに二十三巻というのは巻20もAとBが敢行されたからだ)。
この巻は三部構成で「あなたは自由か」「あなたにとって運命とは何か」「私の運命観の転機」からなる。随所に単行本未収録の短編コラムが挿入されている。次の配本予定の巻22Bは「神の視座と人間の歴史」となって師走刊行予定だ。
前置きはこのくらいにして本論に入る。
日本の暗い、みすぼらしい現況を西尾氏は次のようにまとめる。
「割腹自決した三島の死から大略半世紀もが流れ去りました。精神状況は当時よりもっと悪くなったといってよいでしょう(中略)。
三島自決後の七十年代以後の日本に何が起こったでしょうか。至る処に現れたのは、他人と世界に対する無関心の急激な拡がりでした。若さやロマンティシズムの目に余る喪失でした。無気力と無感動、そして価値の区別を知らない人間、等質化された人間の出現でした。文学の衰退、論壇の崩壊が言われました。教養主義が消えて無くなり、代わりに教育問題が立ち現れたのだともいえます。世界文学全集が出版されなくなり、とって代わったのはコミック誌と健康雑誌ブームでした。気がついてみたら日本の人口再生率は一・三にまで急落し、茶髪とフェミニズムがいつしか蔓延していました」(70~71p)。
出生率の激減はその国に衰退を意味する。
かつて欧州は、逞しく力つよく、野蛮だが野心に溢れ、戦闘的な男性に女性は憧れた。その男性の子供を産みたいとおもい、また多産だったので文明が栄えた。競争に勝ち残り、戦争にも勝ちぬき、経済的は繁栄もあった。
出生率の低下とは未来に夢が描けないからであり、ましてスマホにのみ依存する若者は教養どころか新聞も読まない。国家の行く末に興味が無い。
日本は滅びにむかった驀進をつづけているとするあたり、評者も同感なのである。
そして三島の預言(最後の檄文の一説が引用されている)にもどって、西尾氏はこう言われる。
「彼(三島由紀夫)は未来が明るく、どこまでも平安で、それゆえに何も作り出さず、何も生まず、時間は無意味にただのっぺらぼうに伸びていくだけの、生の深い暗さに気がつき、戦(おのの)いたのではなかったでしょうか。(改行)自由が豊富にあたえられることは自由をもたらしません。人間は大きな自由に耐えられない存在なのです」(71p)
本巻は最後に近い580pのところで、御自分の墓を決める話がでてくる。その寿墓を建てた青山の小さな寺には井伏鱒二、吉行淳之介の墓もあって、なにかの縁かとそこに決めた経緯が書かれている。
ここまで読んできて評者はあることに気がついた。氏の文章の基調が、無力な日本の政治への怒り、絶望から哀愁へと変化していることだ。三島由紀夫最後の檄文への洞察を通して暗い未来を見ていて、それが墓所の話にまで及んだ。しかも次回配本のタイトルは「神の視座と人間の歴史」なのである。
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