前回の訪日は04年12月だった。
この時、李前総統一行は名古屋空港から入国した。心臓病治療のためその前の2001年4月に大阪と岡山を訪れて以来、3年8カ月ぶりだった。
中国からの妨害は凄まじかった。
一回目は人道的理由から病気療養のため、ヴィザが発給された。「迷惑な話だ」と親中派議員の一部が北京の顔色を見ながら言っていた。
二回目は、「私人の観光旅行」に徹するという条件で日本政府はヴィザを発給し、講演会、記者会見などを一切、認めなかった。
外務省職員がふたり張り付いてスケジュールを完全に掌握し、随行記者団を警備陣で囲んで直接取材を遮断する一方、新華社の記者にだけは特権を与える「配慮」も示した。これで日本の外務省は北京にも「誠意」のシグナルを送ったのである。
そして05年に「反日暴動」が起きた。日本の空気はガラリと変貌し嫌中感情が全土を覆った。慌てて中国の首相が来日し、にたにたと薄ら笑いを浮かべながら日本企業の誘致に熱心だった。
日中間の政治環境は変わった。李総統の訪日を妨げる政治的要素は激減したのだ。
今回は「芭蕉の足跡をめぐる」ことが主眼とされ冒頭に紹介したように深川では芭蕉記念館を訪れ、即興の俳句を披露した。日本三大名勝の松島でも、夫婦そろって句を詠んだ。
「松島や光と影の眩しかり」(李登輝)
「松島や浪漫ささやく夏の海」(曾文恵)
人生の前半を日本人として生きた
李登輝前総統は戦前、京都帝国大学農学部に学び、学徒動員で陸軍に入隊し、名古屋で終戦をむかえた。
前回の名古屋訪問は59年ぶりのセンチメンタル・ジャーニー。今回の東京入りは副総統時代のトランジット訪問以来である。
前々回、前回、そして今回と日本各地で日の丸、台湾旗(中華民国旗ではない)をもった数百人が行く先々で暖かく出迎えた。
どこでも歓迎の人の輪が絶えない。
これほど日本人が暖かく迎えるのは李登輝が流暢な日本語を話せることだけが理由ではない。
戦後日本人が見失った道徳家、高潔な古武士像を李総統の行動、その立ち居振る舞いにみるからだ。『武士道解題』の著作があるうえ芭蕉の句を諳んずるほど李は日本贔屓である。戦後日本が失ったカリスマ政治家像を多くの日本人が李氏のイメージと重ねるからである。
これまで三回の日本訪問を比較すると日本の立場がやや強まっていることが分かる。
李登輝来日をめぐっての反対派の声は随分と静かになった。北京が黙っていたからである。前回の名古屋、金沢、京都を訪問したときには講演会を開けなかった。今回は各地で講演会を開催できるほどの政治的な環境変化は特筆すべきである。
日本外交の変容の予兆は外務省内主流だったチャイナスクールを抑え込んで、訪日を比較的容易に実現させたことから実感できるが、その背景には多くの親台派の政治家も動いた。むしろ中国への世論が厳しくなった環境変化が重要だ。
前回まで日本がためらい続けた李総統へのヴィザ発給は米国も意外と受け取ったらしい。
保守派を代表する「ウォールストリート・ジャーナル」紙(2004年12月27日)が三年前に次の指摘をした。
「北京による報復を恐れる西側は独立志向の李氏を煙たがってきた。日本も例外でなかったのだが、中国艦船の日本領海侵犯直後、中国との対決を嫌う伝統を捨て日本政府は毅然と対決姿勢をうちだし、中国の謝罪を手に入れた。新防衛大綱では中国と北朝鮮を主な脅威と定義した」
中国は日本政府に強い圧力をかけてもヴィザ発給を阻止できなかったため、駐日大使館を通じての工作は!)李登輝が日本で大歓迎されている報道!)李に日本の政治家が面会する!)李氏が日本の公衆向けにメッセージを発すること等の「政治活動を絶対にさせるな」と外務省に厳命(言明)した。
このため自民党は面会を遠慮するよう党内に通達をだし、中国とビジネスを深める財界も冷淡さを装った。
今回の訪問は、そういう制約さえ薄くなった。
欧米諸国は日本のようなためらいがひとつもない
ここで素朴な疑問が幾つか湧いてくる。
第一に李登輝総統は自由に米国に行けるのに日本となると中国は何故あそこまで過激に容喙するのか。
米国は李登輝に五年間有効の数次ビザを2001年に発給しており、イギリスやチェコなどもこれに準じて李氏を受けいれている。
李登輝ばかりか現職の陳水扁総統も米国へ講演旅行ができる。
米国では台湾からの留学生を援助するシステムがある。日本は台湾からの留学生の在留許可書の国籍欄まで「中華人民共和国」と記述させ、書面上、台湾は中国の不可分の領土という行政解釈を徹底、NHKなど日本の大手マスコミ報道もこれに準じている。
第二は李登輝総統の海外渡航のことだけではない。台湾が独立を宣言したら北京は台湾へ武力侵攻をする、と獅子吼しながら米国の対台湾武器援助にはうるさくないばかりか、人権をめぐっての米国からの抗議に弱腰なのは何故なのか?
現在、中国の民主活動家の亡命先は欧米で、特に米国に逃れた著名な中国知識人には天安門事件で学生リーダーだったウーアルカイシ、魏京生のほか、呉弘達、方励之、王丹らじつに四万五千人前後もいる。彼らは中国の人権抑圧を批判して米国議会に陳情をつづけ、胡錦濤、江沢民、李鵬などが訪米のおりにはデモを組織した。
北京は亡命者をかばう米国に口先の抗議をしてもうやむやのうちに撤回するか黙認する。米国議会が人権蹂躙だと騒ぐと、五月雨式に活動家を労働改造所や監獄からだして米国への出国を許可してきた。
だが、日本には一切の政治亡命を認めさせない。あまつさえ日本の歴史教科書問題にまで容喙し、首相は靖国神社に行くなと命ずるのは、皇帝に朝貢する地方政権のごときと認識しているからだろう。
そこまで増調慢な理由を知るには「中華思想」なるものと、「反日感情」の屈折した中国人の心理を整理する必要がある。
中華思想とはわかりやす言えば!)大風呂敷!)のことだ。
中国が世界の中心であり、中華民族は世界で一番優秀であり、日本は東の夷に過ぎず、何百年にもわたり、「倭」とか「小日本」とか命名して軽蔑してきた。いまも大仰に侮蔑する振りをする。
中国を侵略したのはイギリス、ドイツ、ロシアだった。朝鮮戦争で中国が実際に戦った相手は米国だった。
日本は戦前、満洲族の土地に進出したが、本来の漢民族の土地ではなかった。
ところが各地にある歴史記念館は「反日」一色であり、肝心の反米、反英、反ロの展示はほとんどない。軍事大国、政治大国には立ち向かわない心理が働いているからだ。
常に中国は、強い者には媚び、弱い者は徹底していじめるという事大主義的な体質が濃厚にあるからである。
そういう体質のところへ1993年以来の江沢民の反日教育徹底が加わった。
「反日」は中国共産党の失政、悪政への庶民の不満をそらし、共産党とその特権を守るためのすり替えが目的である。仮想敵をひとつだけに絞り込んで、当面、日本にだけ敵愾心を煽ろうとしていた。
ここに李登輝をあれだけ毛嫌う理由の一つがある。侮蔑すべき日本を礼賛して止まないのが李登輝総統だから「日本軍国主義と同罪」となる。まして22歳まで李登輝氏は「岩里政男」なる日本名があったうえ、兄は戦死、靖国神社に奉られているとなれば、中国人にとってこれほど疎ましい人間もいまい。
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