李登輝前台湾総統の講演記録3


「日本の美しさを実感できた旅だった」
(有楽町の日本外国特派員協会で6月9日に行われた李登輝・台湾前総統の講演要旨は次の通りです。クラブ会員の西氏の報告です。)

waku



人間とは何か、日本の若人に問うた

 10泊11日の訪日の旅を終えて、きょう、台湾へ帰る。
 学術、文化、「奥の細道」の探訪が目的で、成功したと思う。
 6月1日、「後藤新平賞」の第一回受賞者となる光栄に浴した。新しい時代の創造的なリーダー・シップを育成する画期的なものであると信じる。
 その時に「後藤新平と私」という講演のなかでも述べたが、後藤新平の偉大な人間像が150年後の今になって認識されるようになったことは、強い精神的なものが国家、社会にとって必要なものとなったということだ。


外国人記者クラブで講演する李登輝氏
講演中の李登輝前総裁
(07年6月9日。撮影H。NISHI)


 この旅は、今までで最高のものとなり、奥の細道は半分だけだが探訪し、日本文化の特徴である自然との調和を実感した。芭蕉の足跡を全て辿ることができず、深川・千住・平泉・山寺・象潟のみで新潟以降は次回となった。

 秋田国際教養大学では、「日本の教育と台湾、私の歩んできた道」というテーマで特別講義を若い大学生たちにし、日本的教育を受けて得た経験を話した。
 それは人間とは何ぞや、私は誰だとの問いに答えを得たということだ。専門的教育以外に教養として人間のあるべき姿、私は私でない私であるという人生の結論を得られた。
 WHO AM I?という問いに対して「I AM NOT I、BUT I AM」という答えを得た。 
 人生の価値観への理解と、種々の問題に直面した時にも自我の思想を排除して客観的な立場で正確な解決策を考える事が出来た。

 6月7日早朝、靖国神社を参拝した。
 日本・中国・韓国で、政治問題・歴史問題として大きく取り上げているが、私は第二次世界大戦で亡くなった兄の冥福を祈るだけだ。62年間会っていない、位牌・墓もなくどうしているか分からない親しかった兄だ。東京に来る困難もあり、慰霊・冥福を祈れて、生涯忘れない思い出となった。
 その夜、学術的な講演をした。私なりの研究を述べる事が出来、世界の情勢に対する客観的な私の知っている限りの学術的な話をした。政治的だとは思わない。

アジアは大きく動くだろう

 世界、東アジア、両岸台湾海峡について次のように述べた。
 2007年のロシアと中国の重要度は、アメリカがイスラム世界で巻き起こした衝突、世界の反テロ戦に劣らない。
   アメリカとイランの対立は一方が勝利を得ることなく、政治的な解決に向かう可能性を有している。 世界のリーダーであるアメリカの政治的機能の麻痺:外交でのイラク問題、内政でのブッシュ政権の弱体化、これらに乗じてベネズエラ〜ソマリア〜アジアに至る国々の中で、アメリカに挑発的な国が侵略的行動に出るように思われる。

 2007年の東アジアは政治の一年になる。
 日本・韓国・豪州・台湾・比国で選挙がある。中国、ベトナム、北朝鮮の三国も党内人事の大異動がある。これにより内部権力の再分配が起こる。その間2007年の国際政治は比較的安定する。

 アメリカは一時的にアジアにおける主導権を失う。
   一変するのはアメリカが新たな政治的周期、次の大統領選挙後に新政権が出来るまで待たなければならない。
 アジアは第二次世界大戦前に戻ったようだ。
 東アジアは地域内に限定される権力抗争の主軸が日本と中国だ。
 2007年と8年、中国が東アジアを主導することが出来たなら2008年5月に就任する台湾総統は中国から一段と厳しい挑戦を受けるだろう。

 さて今次の旅の感想を言えば、前回は一年半前だったが、東京には来れず、日本を一週間訪問・観光し、名古屋・金沢・京都を回った。今回は奥の細道だけでなく東京に来られて多種多様なかたちで展開できた。
 前回と今回の旅行で強く感じたことは、戦後60年で日本が大変な経済発展を遂げていることだ。私は昭和21年、新橋の焼け野原に建っていた家に住んでいた。その時の有楽町と今を比べると天地の差だ。
 焦土から立ち上がり、世界第二位の経済大国を作り上げた国民の努力と指導者の正確な指導に敬意を表する。
 もうひとつは、日本文化が進歩した社会で失われていなかったことだ。
   失われた面もあるが、ほとんどは失われていなかった。大戦の結果、耐え忍ぶしか道はなかった。忍耐するしかなかった。経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされた。そうした中にあっても伝統や文化を失わずに日本は来た。

日本人のすばらしさが復活していた

 日本の旅行で強く記憶に残っているのは、さまざまな産業におけるサービスのすばらしさだ。
   戦前の日本人が持っていたまじめさ、こまやかさがはっきりと感じられた。今の日本人がダメだということも聞くが、私は決してそうは思わない。日本人は戦前の日本人同様、日本人の美徳をきちんと保持している。社会が全部秩序よく訓練されて人民の生活が秩序よく守られている。

 たしかに外見的には弛んだ面もあるだろう。それはかつての社会的な束縛が解放されたからで、日本人の多くは社会の規則に従って行動している。東京から仙台、日光へと移動する間、よく観察していると日本人は本当に社会の規則に従ってみんな正しく行動しているということだ。他国ではなかなか見つからない。社会的な秩序がきちんと守られ、公共の場所では最高のサービスを提供している、清浄に保たれている。高速道路を走ってみるとチリ一つない。
   ここまで出来るのは日本だけだろう。

 かつて日本の若い人に会ったときは、自分だけよければいい、国なんか必要ないという考え方が強かったようだが、社会・国家への考えた方が、大きく変わり始めた。
 戦後60年の忍耐の時を経て、経済発展を追求するだけでなく、アジアの一員として自覚を持つようになった。武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始めた。日本文化の高い精神面が高く評価されている。
 日本文化は大陸から西から滔々と流れ込んだ大波の中で驚異的な進歩を遂げ続けてきた。
 結局、一度としてそれらの奔流に嚥み込まれることなく、日本独自の伝統をりっぱに築き上げてきた。

 日本人には古来稀な力と精神が備わっている。
 外来の文化をたくみに取り入れながら自分にとってより便利で受け入れやすいものに作り変えてゆく。このような新しい文化の創造というのは一国の成長・発展という未来への道にとって非常に大切なものだと思う。
 天賦の才に恵まれた日本人が、簡単に日本的精神といった貴重な遺産や伝統を捨て去るはずが無いと堅く信じている。
 日本文化とは何か? 
 私は高い精神と美を尊ぶ、いわゆる美学的な考えを生活の中に織り込む心の混合体こそが日本人の生活であり、日本の文化そのものであると言わざるを得ない。
 次に日本を訪問する機会があれば、日本は歴史的にもっと創造的な生命力を持った国に生まれ変っているものと信じている。(講話はここで終了)


waku


以下は「質疑応答」の中での李登輝氏のコメント。

台湾は我々のものである!

 靖国神社への参拝が外国の人や政府によって批判されるが、これは何の理由もない。
 自分の国のために亡くなった若い人をお祀りするのは当たり前のことだ。総統だった12年間の春夏、忠烈祠にお参りした。この人たちは正直に言うと台湾と無関係な人たちばかりだ。台湾のために血を流した人々ではない。人間として、ひろく人類愛の考え方で慰霊した。

 中国に挑戦はしていない。
 内戦状態を続けてきたのであり、その内戦を停止した。北京政府へ互いによく付き合っていこうと、大陸委員会、海峡委員会で王道函と辜振甫が話し合ってきた。国と国の間における静かな安定した状態をつくることが大事だ。

 日本人はあまりにも中国人を知らなすぎる。
 60年間の中国生活が何を私に教えたか。中国人になって中国人と話をしなければならないということだ。日本的な日本人の立場で中国人と話しても話は合わない。
 安倍首相を褒めることになるが、日本人がアジアの自主的な力を持った国家になるには、まず先に中国を訪問し信頼関係をつくりましょうとは上等な布石であったと信じる。
 布石がなければ定石にならない。こうして国と国の関係を作り上げてゆくのは正しいやり方だと思う。

サンフランシスコ条約で日本は台湾を誰に返還したのか?

 マッカーサーの指令第一号で日本は蒋介石に対して降伏しただけで、主権の存在は不明瞭のままだ。
 中国人は台湾を中国のものと考え、アメリカ人もそう考えているかもしれない。しかし台湾人2300万人が主権を握っているはずだ。
 だから台湾はすでに存在する独立した一つの国だ。
 独立するという必要は無い! 中国は反国家分裂法を制定して逆に頭痛の種になっていると思う。
 ドイツの放送局に言った(99年7月)が、台湾の地位は非常に複雑な状況に置かれている。判決の無い特殊な状態だ(「二国論」)。台湾の住民が自分の国だと言わなければ、誰も助けてくれない。将来の台湾海峡の問題は二つだ。台湾問題とアメリカ問題だ。

 台湾は我々のものである。
 すでに独立した、自由で、平和な、 民主的な国だと主張すること。アイデンティティを持つことだ。 
 WHO AM I? より WHO ARE WE?だ。(西法太郎 記)

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