(その3)
ノモンハンの現場にて。空砲で「和平」と陳列してあり、原野の後方が見張り台。一帯は荒野である。台地と空しか視界には入らない。道に迷って人民解放軍の駐屯地で訪ねると小隊長が案内してくれた。
チュニジアの首都チュニスのスーク(市場)。経済繁栄を極めながら防衛を傭兵にまかせたカルタゴがいかにして滅びたか、カルタゴ遺跡をみてまわった。カルタゴの末期と日本の経済繁栄の未来が重なった。
イスラエルのコーエン前大使は武道の達人にして居合道も。テロリストと立ち向かって相手を倒した逸話もある文武両道の人である。
台湾独立のカリスマ彭明敏氏と。彭は宗像隆之氏ら日本人に助けられて蒋介石独裁下の台湾をスェーデンに逃げ、爾後30年の亡命生活をおくった。96年民進党から台湾総統に立候補した。
井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)の古希の祝いで。井尻さん(中央)挟み、右は田中英道、左は黄文雄、後列左から遠藤浩一、小生、平野寛明ポーツマスネットワーク代表、藤岡信勝教授、岩田温・日本保守主義研究会代表の各氏。
熊本城公園内にある神風連の指導者・加屋戦死碑で中村彰彦氏と。 神風連を小説内小説として、三島由紀夫『奔馬』は構想された。
中国へあこがれ、文革に失望しアメリカへ渡った作家の陳若儀さんをサンフランシスコの自宅に訪ねて(1984年)。『北京の独り者』(竹内好訳)で鮮烈デビューした、陳女史は「それでも中国に希望ありき」と語った。
女優村松英子さんと。兄上の村松剛氏以来の長いおつきあいです。
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