(その4)
インドはオーランガバード郊外にあるアジェンダ遺跡。三島由紀夫『春の雪』で本多が、ここを訪ね、仏教遺跡の滝の水しぶきに「また会おうぜ、きっと。滝の下で」と松枝清顕が残した言葉を思い出した。小生が訪れたときは夏で、滝の跡は鮮明だったが水がなかった。(拙著『三島由紀夫の現場』、並木書房参照)
ラオスの寺院にて。三島はまたラオスにはびこった「愛国戦線」(パテト・ラオ)が国王の元の共産主義を唱えたことに関心をいだいて『文化防衛論』の一節に使った。
カンボジアはシェムリアップ郊外のバンダル・スレイ遺跡付近で。アンドレマルロォが「東洋のモナリザ」と呼んだ神秘的彫刻は、この寺院にある。 マルロォと親しかった竹本忠雄氏はカンボジアに何回か通い、現地民のピー(魂)信仰を目撃された。
ラサのダライラマ離宮。チベット民衆はいまもダライラマ法王に篤き信仰の基軸を置くが、ラサのどの寺院にもダライラマの肖像がはない。 詳しくは拙著『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)を参照。
ミッキー安川さんの人気番組(ラジオ日本『ミッキー安川の”ずばり勝負”)に年に十回は出演をしています。 この長寿番組は28年間続き(いまも続行中)、小生は村松剛さんと替わって15年間、ほぼレギュラーの解説役です。
台湾の馬英九総統に直撃インタビュー(07年六月。まだ選挙前でしたが)
高山正之さんの講演会を終えて(三島由紀夫研究会公開講座)。打ち上げの宴で。 右から三番目、立っているのが高山さん、宮崎は左端。
早雪忌(故三浦重周の三回忌)が終わっての集合写真。中央に座るのは石平さん。遺影をもつのは三島研究会事務局長。前列右から二番目が山崎行太郎氏。 宮崎は三列目左二番目。同三列目左から六番目藤井厳喜氏。同左から五番目鈴木邦夫氏。
同早雪忌会場でペマ・ギャルポさんと。ペマさんとも長いおつきあいですが、08年九月には御一緒に桑名旅行をしました。
熊本へ最初へ行ったのは父に連れられて七歳くらいの頃。 三島事件直後には神風連記念館、講演旅行の前後には夏目漱石や横井小南、徳富蘇峰のゆかりの地を訪ね、天草も見ました。 最近は阿蘇にある明神池、その敷地内の「佐川官兵衛記念館」にも三回、中村彰彦氏と行きました。
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