宮崎正弘の寫眞帳(その5)


岸信介元総理と

岸信介元総理と

 岸信介元総理と。80年に加瀬英明氏が音頭をとって開催された日米安保条約改定20周年シンポジウムの会場(東京プリンスホテル)ロビィで。左から岸氏の秘書だった堀渉氏。岸さん、加瀬さん、筆者。右端は通訳。このイベントは米国からフォード前大統領他、上院議員ら多数が参加した。

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ハンガリーのバラトン湖

ハンガリーのバラトン湖

 ハンガリーのバラトン湖。ブタペストから汽車で二時間ほどかかった。かつて東ドイツ市民が、夏期休暇でバラトン湖のロッジに泊まり、ここから西側へ脱出した拠点だったが、わたし達(中村彰彦と一緒だった)が訪れたときはのどかだった。
 レストランで鰻の燻製を食べた。

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東ベルリン

東ベルリン

 東ベルリン。冷戦が終わってもしばらくベルリンの壁は撤去されたが、このようなゲートを通らないと東西ベルリンは行き来できなかった。現場はブランデンブルグ門である。当時のベルリンには重たいカメラを提げて何回か取材へ行った。

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イラクのバビロン遺跡にて

イラクのバビロン遺跡にて

 イラクのバビロン遺跡にて。88年、突然、サダム・フセインのバース党から「アラブ平和会議」への招待があり、ペンクラブを代表した越智道雄教授らとでかけた。会議の合間をぬって白タクをチャーターし、バビロンの遺跡へ。おどろくべし、発掘をしないで、遺跡の上から観光用の構造物を建てていた。
 さらに会議の合間に軍用機に乗せられファオ半島の対イラン戦争の現場を見た。まさに戦闘中で多くの死体が転がっていた。

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ペルーのフジモリ元大統領と

ペルーのフジモリ元大統領と

 ペルーのフジモリ元大統領と。日本亡命中のフジモリ大統領は、かなりの英語を喋るようになり、また日本語も熊本訛りだが、相当理解できる様子だった。写真は数年前の或る日、加瀬英明氏邸で。

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東京湾へ散骨の儀式

東京湾へ散骨の儀式

 東京湾へ散骨の儀式。故片岡鉄哉教授の遺言により、遺骨を東京湾へ撒くためにクルーズ船を遺族がチャーターした。ハイネの詩を朗読し、教え子らが中心になって散骨、花束を海に投げ込み、そしてワインを厳かに撒いた。

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石和温泉の旅館で寛ぐ

石和温泉の旅館で寛ぐ(撮影 石平氏)

 石和温泉の旅館で寛ぐ。還暦を過ぎると海外よりも日本の温泉地へ行くことがたまらなく好きになった。昔の文士らは温泉旅館に長逗留して原稿を書いたそうだが、いまは携帯パソコンを持ちこめば良い。

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渋江にあるフライングタイガー記念館前で

渋江にあるフライングタイガー記念館前で

 やってきました、中国は湖南省の山奥、毛沢東の生まれ故郷よりも奥地、渋江にあるフライングタイガー記念館前で。この立派な建物が象徴するのは米中関係の微妙な演出である。記念写真は左がコラムニストの高山正之氏、後列中央が樋泉克夫教授。筆者は前列左。

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